偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イギリスの詩人 アレキサンダー・ポープ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
例えば『善玉菌』と『悪玉菌』のことを考えたってそうだ。我々の腸内には、その両方、そして日和見菌が混在している。つまり、中途半端だ。その両方が常に存在しているわけで、どちらかが消滅して生き残るということはない。あるとしたら『優位になる』ということぐらいだ。例えば、『悪玉菌が優位になれば下痢になる』という様に。これで考えても、人間には『聖性』と『魔性』があり、『聖性=愛』と定義してほぼ間違いない。『魔性=私利私欲』と定義してほぼ間違いない。
『魔が刺す(差す)』という言葉の意味は、『魔性が優位になった』ということで説明がつく。『親が子を叱る』ということの根底には、『聖性が優位になった』ということで説明がつく。どちらか一方になるという事はあり得ない。従って、『浮気を考えるだけでもダメ』という発想は『人間の否定』だ。脳は、視床下部という部位で、いつでも好みの異性とSEXをしようと判断するものだからだ。
もし結婚している身なら、それはここで言えば、『魔性』である。しかし、それ理性(前頭連合野)という『聖性』でもって、制止する。それでいいのである。どちらか一方を強要することは出来ない。共生しているのだ。混在している。その中で、どちらを『優位にするか』ということに重きを置くべきなのである。
日本文芸社『脳とカラダの不思議』にはこうある。
一般の動物は、育てやすい季節に出産を行えるように発情期というものが脳の中にプログラミングされているが、人間の場合はいつでもセックスが可能だ。これは、脳の中の大脳皮質が深く関係している。生殖に関するメカニズムを担っているのは脳幹にある視床下部であるが、人間の場合は大脳皮質の前頭連合野も性行動に深く関係している。もし、視床下部だけに性行動が支配されているとしたら、人はひたすら欲望の赴くままにセックスを求めて、社会的な秩序はあっという間に崩壊してしまう。
自分の頭の中で、伴侶以外の異性が魅力的だと思ってしまった。しかし、立ち止まって考えた。自分が本当に愛しているのは、自分の伴侶だと。それでいいのだ。それが聖性が魔性に打ち克った証拠だ。
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