偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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考察
これは『表現の問題』だ。男は、火ではない。女は、麻布ではない。この時点で、この話が『たとえ話』であることが判明していて、だとしたら、表現に癖があるということがまず最初にわかるわけだ。だとしたら当然、『悪魔』も例えだ。聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。
ここでいう『悪魔』というのは、『魔性』である。これが優位になったとき、理性を忘れて、男と女はその距離を縮める。恋をすることが、『悪魔にのりうつられた』というのは、一見すると乱暴な表現である。しかし、実は、権威ある脳科学者が非常に興味深いことを言うのだ。
『ヘロインをやっているときと、恋をしているときの脳の状態が、瓜二つなんです。』
実は、『恋は盲目』という言葉は、本当なのである。恋をするとき、脳内の『テグメンタ』という部分が活性化していて、実は、これがヘロインを使用しているときの脳の状態と酷似しているというのだ。
恋によって新しい生命を宿し、その成長を見守ることは、人間にとって、この上ない至福の喜びだ。そう。その子の為なら、例え世界中を敵に回してもいい。それが一体、何を意味すると思うか。
関連映画:『ノア 約束の船』
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