偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
ソクラテスを師と仰ぐアンティステネスの弟子、ディオゲネス。犬のような生活を送り、樽の中にひた暮らすその様子から『犬のディオゲネス』、『樽のディオゲネス』とも言われていたという。師の教えを守り、物質的快楽を求めず、乞食のような生活をしたディオゲネス。ある日、そんな彼の下に、かのアレクサンドロス三世が尋ねた。ディオゲネスがあいさつに来なかったからだ。

何か希望はあるか?
するとディオゲネスは言ったのだ。
『あなたにそこに立たれると日陰になるからどいてください。』
かのハンニバル、カエサル、ナポレオンといった歴史上の人物から『大英雄』とみなされ、旧約聖書にも出てくるマケドニアの王、アレクサンドロス大王を前にして、その態度。しかし大王は、その帰り道でこう言ったというのだ。

私がもしアレクサンドロスでなければ、ディオゲネスになりたい。
ディオゲネスのように無私無欲を追求する生き方は、アレクサンドロスにしてみれば、正反対の人生。仏教の開祖ブッダも『執着は罪』と言ったが、もしかしたら人間は少し欲求を進化させ過ぎて、とっくのとうにその許容範囲を超えてしまったのかもしれない。今もこの世で尚続く幾多の争いが、それを裏打ちしているのかもしれない。
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