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セルバンテス『裸で私はこの世に来た。裸で私はこの世から出てゆかねばならぬのだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

この人生をどう生き、どう死ぬかという問題について、セルバンテスのこの言葉以外に考える言葉がいくつかある。

 

インドの諺にはこうある。

 

自分が生まれた時、多くの人が自分の誕生を喜び、自分は泣いていた。だからせめて、自分がこの世を去るときは、この世に一片の悔いも残さず、ほがらかに死んでいきたい。その潔さに思わず、周囲の人がその死を惜しんでしまうほどの。

 

明石家さんまは言った。

 

人間、生きていれば色々なことがある。五体満足で生まれなかった人生もある。借金地獄に落とされ、事故や事件に巻き込まれ、過酷な状況を強いられることもある。だが、人間は最初から死ぬことが決まっていたのだ。だとしたら、死ぬときにパンツ一枚でも穿いて死ねたら、もうそれだけで十分この世で闘った証拠なのだ。

 

ヘルマン・ヘッセは言った。

 

この世を生きていると、何とも言えない孤独感、虚無感に心が覆われ、絶望に打ちひしがされそうになる瞬間があるかもしれない。それは、この得体のしれない、虚無たる混沌の宇宙の闇という範囲への認識、あるいは、いずれ来る『死』という理不尽で数奇な運命への、恐怖なのかもしれない。そんな恐怖をやわらいでくれるのは、家族であり、子供であり、友人だ。金があれば、虚無を誤魔化す手段をいくらでも見つけられる。しかし、それでも最後の一歩は、自分一人で歩かなければならない。だとしたら『誤魔化す』ことは、何を意味するのか。家族とは、何を意味するのか。

 

 

吉川栄治は言った。

 

セルバンテスのこの言葉同様、人生とは、寿命の範囲内にある、肉体を借りた精神的活動である。つまり、自分が生きている間、精神という意志がこの肉体を通して、様々な言動を取り、何かを為そうとする。しかし、死んだらその全てが終わる可能性が高い。だとしたら、この与えられた命の日数で出来ることを、全身全霊でやり遂げるべきなのだ。

 

人生を生きてれば、様々なことがあるだろう。絶望に打ちひしがされ、あるいは、おごり高ぶって傲慢不遜に陥ることもある。しかし、そうでなくても、そうであっても、いずれにせよ必ず人は死ぬのだ。命を、使い切りたい。

 

 

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