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有島武郎『畏れることなく醜にも邪にもぶつかって見よう。その底に何があるか。もしその底に何もなかったら人生の可能性は否定されなければならない。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本作家 有島武郎画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

キリスト教に入信し、ハーバード大学で学び、社会主義に傾倒しホイットマンイプセンらの西欧文学、ベルクソン、ニーチェなどの西洋哲学の影響を受ける有島。

 

電力王、松永安左エ門はこう言っている。

 

この言葉はまるで、

『深い内省によってしか得られない人生の生きる指針・羅針盤がある』

 

と言っているようなものだ。有島に影響を与えたホイットマンの言葉に、

 

というものがある。この言葉も同じだ。

『深い内省によってしか得られない人生の闇を照らす真珠がある』

 

と言っているのである。『人生の可能性が否定される』などということはあり得ない。つまりこれは、絶望に陥る人間を、更に絶望の淵に陥れる追い打ちの言葉ではない。『在る』のだ。『有る』。例え実存はしなくても、確かにそれは『或る』のである。それが、羅針盤でも、真珠でも、『神』でもいい。それは、『ある』。そして必ず、それと共に残りの人生を生きることが出来るだろう。

 

聖書における『ヘブライ人の手紙』には『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿った。つまり、人間には『聖性』と『魔性』があり、『魔性』は確かに、『邪』に見える。しかし、そこには必ず『聖性』もある。『聖性=愛』。それこそが、人生という暗闇を照らす、一片の光なのである。

 

 

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