偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
過ぎたことはもう取り返しがつかない。しかし、明日は無限の可能性を秘めている。例えば、赤ん坊の頃、ところ構わず排泄物を垂れ流していた。食べてはいけないものを口にし、場をわきまえず泣きわめていては親に迷惑をかけた。しかし、そのことについてすっかり忘れて、堂々と今を生きているのである。その理由は、
『あの頃は赤ん坊(未熟)だったから。』
では伺おう。今は『未熟』ではない?
いいんだ。失敗したって。人間なんだ。それが当然なんだ。失敗したら、悔い改め、更生すればいいのだ。『更生』とは、『更に生きる』と書く。色々あった。取り返しのつかない失敗もあった。だが、そこから更に、人生は続いていくのだ。その後の人生を更に生きる。そういう覚悟を燃やした人間は皆、更生した人間なのだ。
更生という字は、くっつけると『甦る』ともなる。
ルソーは言った。
『私達はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。』
我々は失敗から学ぶのだ。失敗とはまるで『調律』である。的外れな音を出し、間違った音程で奏で、無様な姿を晒した。しかしそれこそは調律(音程合わせ)だった。ここからだ。ここから自分の本当の人生という演奏が、始まるのだ。
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