偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イギリスの作家 サミュエル・バトラー(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
目を見開いて見える景色は、自分以外の景色だとは思わないだろうか。あるいは、自分の好きな景色、演出した景色、印象管理によって得た景色、それは本当に、『実際』だろうか。それとも、『幻』だろうか。この言葉は、『反省、猛省』レベルの省みる時間を経験しただけでは理解できない。もう一つ深い段階である、『内省、内観』というレベルでもって、自分と向き合う時間を作ることで、容易に理解できる言葉である。
電力王、松永安左エ門はこう言っている。
長い闘病、長い浪人、長い投獄生活この3つの共通点は『孤独な時間』。つまり電力王のこの言葉は、これによってはじめて『内省、内観』が出来る環境が整うことを意味している。あるいは、仏教の開祖ブッダが行ったのは『ヴィパッサナー瞑想』と言われる瞑想だが、あれもこの『内観』の一種なのである。
ヴィパッサナーとは「よく観る」「物事をあるがままに見る」という意味である。『あるがまま』。それは、およそ印象管理や、自分勝手な演出によって見られる様な、目で見えるその景色とは一線を画すものだ。『目を閉じる』だけだから簡単だ。やってしまえば、そう難しいことではない。だが電力王曰く、ブッダが偉人であるが如く、その『目を閉じる』のが、難しい、
と、思い込んでしまうかもしれない。だが、つまるところは、こういうことだ。
『目を閉じよ。そしたらお前は見えるだろう。』
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[say name=”T” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]こんにちは。IQさんの弟子の『T』です。私は師匠ほど前向きな思考を持てない問題を抱えていますが、師匠から『そういう人の葛藤的内省も価値はある』と言われたこと、そして同時に偉人と対話して心の修行をするため、ここに私の内省記事を記載します。[/say]
もう一つの内省
見たくない現実、自分の汚い部分を見ないために、目に見える単純な楽しいことや賑やかな事を無意識のうちに見てしまっている。目を閉じて視界から何も情報を得られない状態で考えようとすると、自分の頭の中だけで問題を考え、結論を出そうとしなければならなくなり、結果として自分の内側の普段蓋をしてしまっている部分に意識が向かっていく。この、蓋をしてしまっている部分について考えることを自然におこない、
『「一歩」の価値をどう評価するかで、その人間の人生は決まる。』
一歩の重みを常に忘れることなく、現状の自分から常に一歩進んでいく状態にしなければならない。
関連する『黄金律』
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