偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イギリスの小説家 サマセット・モーム(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
アインシュタインは言う。
聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。こう考えただけでも、人間性には矛盾がある。人を傷つける矛と、人を守る盾の両方があるのだ。こういった矛盾について、気が滅入り、憂う、気の優しい人も大勢いる。自分の魔性について、心を痛め、自分が悪に染まってしまったかのように思い込み、『サタンが』、『邪念が』、『汚れてしまった』、『汚らわしい』、『洗礼を』などと、とにかく自分が汚れてしまうことを認めることが出来ない。
しかし、小説家、吉行淳之介が言う様に、
ということなのである。人間は一生涯、その矛盾を抱えて生きていくことになるのだ。その事実を変えることは出来ない。私は前述したような人間を大勢見てきたが、その中には、さも敬虔な信仰者で、清められて選ばれた人間を装った、傲慢不遜の排他的な人間もたくさんいた。だから、前述した人の様にセンシティブになるのもいいが、ユーモアで持っていっそのことその矛盾を楽しんでみるのも一つの手だ。自分たちのこととなると神経質だが、他人のこと、しかもそれをコミカルな映画か何かで見るとき、我々は思わず、(滑稽だ)と笑ってしまうのではないだろうか。そんな感覚を一つ、覚えておきたい。
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