偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
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考察
私がこれで思いつくのは、『認知症になった祖母』と、『どれも同じ顔に見える』と言う人々のことである。認知症の原因の一つは、間違いなくゲーテの言う通りだ。あるいは、『忘れよう、忘れよう』という自分への言い聞かせもあるはずなのである。
(それは私には関係ないから、忘れよう。覚えるつもりはない。)
という様な、そういう心理の動きがあると私は睨んでいるのだ。

エジソンは言った。
そこにも書いた、 『認知症LABO』にはこうある。
穏やかでのんびりした性格の人や、外交的で活発な社会生活を送っている人は、認知症の発症率が低いことが研究からわかっています。一方、自己中心的、わがまま、几帳面、非社交的などの性格は認知症を発症するリスクを上げるというデータもあります。日常生活で強いストレスを感じている人も、ストレスホルモンが増え、記憶障害だけでなく、免疫機能が低下して病気にかかりやすくなります。
祖母の認知症が発覚したとき、すぐに調べてこれを見た。その時私は、点と点がつながって線になったのだ。私は、兼ねてから祖母のこの性格について、母に言及を繰り返していたのである。そして私は数年前からこの祖母と、『半確執状態』なのだ。口を効いていないのである。これは、積もり積もったものなのだ。
恐らく祖母は86歳という年齢からもわかるとおり、戦争、夫の死、兄弟の死、二人の子供の死、一人の子供の精神分裂病、その子供の離婚等、実に幾多ものつらく悲しい現実の積み重ねで、『忘れる』という『生き方』を身につけてきたのだ。

しかしそれがここでいうゲーテやエジソンの言うように、『ある種の怠惰』という部分に繋がっていて、『そこ』から、
(面倒なことは聞かない。私はこのやり方を変えない。)
という自分勝手でわがままな人格が形成され、それで煩わしさや鬱から逃れられたのはいいが、しかしそれは言ったように『ある種の怠惰』であり、『努力の放棄』の為、認知症に繋がってしまったのだと推測できるのだ。私との関係など顕著で、自分が悪いことをして、しかもそれを裏で認めているのに、私に直接謝罪が出来ないでいて、それでもうすぐ2年が経とうとしているのだ。
私は祖母への最後の愛情の為に、自分からはもう二度と合わせないことを決めた。今まで私は、合わせ過ぎて来たからだ。だから祖母から働きかけないと、永久に解決しないのだが、態度を見ていると、恐らくこのまま『ほとぼりが冷めるのを待つ』のだろう。だが、相手が悪い。私の『ほとぼり』は絶対に冷めない。私はもう二度と中途半端な気持ちで人間関係と向き合わないと、固く心に決めているのである。冒頭で挙げた『同じ顔に見える』もそうだが、要は『興味が無くなる』というか、『興味を示そうとしない』というか、そういう分野に対して人は、能力を低下させて、他の部分に能力を回すように見受けられるのである。
かつて私も、音楽が好きで毎週のようにヒットチャートをチェックしては、カラオケで歌う為に歌詞を覚えたり、その分野については人一倍物知りだった時期があった。だが今は全く興味が無い分野となった為、全く知識を持ち合わせていない。どこかで流れている曲を聴いても、誰の歌でどんな曲かという識別が、出来なくなっているのである。

これを考えた時、ゲーテの言う通りだ。興味が無いということは、それに伴うストレスからも逃れることが出来る。それはある種の、『生きる知恵』ではある。だが、その結果として『認知症』になったり、あるいは、人間関係でトラブルが出たりすることを考えると、いささか、『人生への興味を無くす』ことは、『叡智ある方法』とは言えなさそうである。それよりも考えたいのは、『人生への執着を無くす』ことであり、『そういう人生に興味を持つ』ことではないだろうか。つまり、『人生』が何であるかを知るのだ。
ブッダは言った。
『人生』とは、『執着』するものではないのだ。そういう『人生の実態』を知ることで、有限の命の日数を満喫することに目が向けられて、生きている間に身に起こる全ての事象に対して、興味を持てるのではないだろうか。
追記:この後祖母は、私に謝罪できた。詳細は、

ここに書いた。88歳のときだった。
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補助的分析(AIによる語彙・背景・正確性の中立整理)
※本節では、運営者の内省(言葉だけを見て内省した解釈)ではなく、AI(ChatGPT)による「中立性」と「正確性」を基準に、今回の名言を整理します。名言の多くが出典未確認である現実を踏まえつつ、語彙・背景・意味領域を客観的に位置づけます。
名言提示(再掲)
ゲーテ『興味のなくなるところ、記憶もまたなくなる。』
一般的な解釈
この言葉は、「記憶は単なる情報保存ではなく、興味・関心という主体的エネルギーによって支えられており、関心を失った対象は記憶からも消えていく」という趣旨を持っています。ゲーテは、人間理解と心理学が発展し始めた時代背景において、“記憶は情動と結びつく”という洞察を提示する意図でこの言葉を発しました。この発言は、記憶=機械的保存という考えへの対抗軸として評価され、主体的関心と記憶構造の結びつきを示すものとして捉えられています。
思考補助・内省喚起
この名言は、「あなたの記憶に残っているものは、そして残らないものは、どれほど興味と結びついているか」という問いを与えます。私たちは日常において、覚えられないことを“能力不足”と誤解しがちですが、実際には“関心の欠如”が主要因であることをどれほど理解しているでしょうか。興味と記憶の関係を再確認する内省の起点となります。
翻訳注意・文化的留意点
文化的背景:
ゲーテにとって「興味(Interesse)」は単なる好奇心ではなく、“精神の向かう方向性”“内的エネルギー”を含みます。また「記憶(Gedächtnis)」は“保持”だけでなく“意味づけの痕跡”というニュアンスを持ちます。
語彙の多義性:
「なくなる(erlöschen / vergehen)」は、“薄れる”“消失する”“意味を失う”などに揺れます。
「興味」は“意欲”“情動”“動機づけ”を含む広義概念。
構文再構築:
心理的因果を強めるため、以下の再配置が適します。
例:「興味を失えば、記憶もまた消えていく。」
出典・原典情報
※出典未確認
書簡・断章に類する引用として流通しており、原典特定が難しいため再構成の可能性があります。
異訳・類似表現
異訳例:
「興味をなくしたところには、記憶も宿らない。」
「関心が消えれば、記憶も消える。」
思想的近似例(日本語):
「好きこそ物の上手なれ。」── ※出典未確認
(興味と記憶・習得の関係を示す)
思想的近似例(英語):
“We remember what interests us.” ──※出典未確認
タグ(思想分類)
#記憶構造 #興味と動機 #人間理解 #学習心理
#価値転換構文 #対比構造 #ドイツ思想 #主体性
語義分解(主要キーワード)
| 用語 | 定義 | 補足 |
|---|---|---|
| 興味 | 内的動機・関心・精神の方向性 | 記憶と強い相関を持つ |
| 記憶 | 経験・情報の保持と意味づけ | 関心により強度が変化する |
| なくなる | 薄れる・消える・意味を失う | 心理的痕跡の消失を指す |
位置づけ構文(思想国家における構文的機能)
この名言は、「記憶の成立条件を“興味”という主体的基準によって再定義する」という思想的挑戦を含みます。構文としては、「興味と記憶の因果構造」「価値転換構文」「心理的主張構文」に分類され、思想国家内部では“学習軸”“動機づけ”“記憶構造”の群と接続可能な核を持ちます。
感受対象(思想UX設計における対象読者)
・記憶力に悩む読者層
・学習・習得に苦手意識を持つ層
・心理的メカニズムを探求する思想志向層
この言葉を更に5つの視点から再考する
➡ 『興味のなくなるところ、記憶もまたなくなる。』をさらに深めて読む
(ここに静的HTMLリンクを手動で貼る)
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