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カミュ『最後の審判を待っていてはいけない。それは毎日くだされているのだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

『最後の審判』とは、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという、キリスト教の言い伝えである。それを考えた時、例えばこの世に1兆人生きたら、それらがこの世の終わりの時、全て甦り、永遠の生命を与えられるか、地獄に堕とされるか、ということを決められるわけだが、だとしたら『人間』というものは、この宇宙において、極めて重要な存在ということになる。

 

この、未だにその全容が解明されていない大宇宙の中で、この太陽系の銀河、そして地球が特別な星であり、そこに生きる『人間』というものが、更に特別な存在ということになる。その前に地球に生息していた『恐竜』はどうだろうか。

 

他の動物や植物はどうだろうか。微生物や、昆虫や、その他の一切の生命は、どういう基準でその審判を受けるのだろうか。彼らに『罪』などあるのだろうか。あるのだとしたら、どういう者がそれに該当するだろうか。他の動物の肉を食らい、生きながらえようとする動物だろうか。他の昆虫を罠に嵌め、生きながらえる植物だろうか。人や動物に寄生して殺す、微生物や細菌、ウイルスはどうだ。それらの生命は、いいのか、悪いのか。

 

 

カミュは、『最後の審判を待っていてはいけない』と言った。これがもし、『天国を待つ』人間への言葉であれば、その『期待するかの様に待っている人』の背中を押すように、『待っていてはいけない』と言っている印象を受ける。あるいは、『地獄に堕ちるのを待っている人』も想像できる。その場合、他人がである。人が悪い事をしたのを見た時、(どうせあいつは最後の審判で地獄だよ)と思って、見て見ぬフリをし、地獄に堕ちるのを待っている人だ。そういう人に対しても、『待っていてはいけない』と。『見て見ぬフリをしていないで手を差し伸べなさい』と言っている印象も受ける。

 

もしくは、そういうトータル的な総合判断に身を委ね、毎日の精度が荒くならないように、『トータル(人生の総合結果)』から『毎日』という時間感覚へとシフトチェンジさせ、今を全力で生きる様に諭している、という印象も受ける。輪廻(生まれ変わり)に期待している人間への助言にも見える。つまり、これらに共通しているのは『今を全力で生きろ』というメッセージ。

 

アウレリウスは言った。

 

何が正しいのか。何が重要なのか。神はいるのか。それは、わからないのだ。わかる者など、未来永劫現れないのだ。しかし、それでもわかっていることがあるのだ。それが、今この瞬間を、全身全霊で生きるべきだということ。『それしかできない』のではない。『それができる』のだ。

 

 

 

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