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岡本太郎『他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものはなくなってしまう。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

『他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものはなくなってしまう。プライドがあれば、他人の前で自分をよく見せようという必要はないのに、他人の前に出ると、自分をよく見せようと思ってしまうのは、その人間にコンプレックスがあるからだ。』

 

 

人からどう見られるか、何と言われるかを気にする。するとそこにいるのは、『絶対的な自分』ではなく、『相対的な自分』だ。八方美人だからである。相対的で何が悪いかと言うと、私だったら、生きている意味を見失う。例えば一気に話を深くするが、私の家庭は、クリスチャンだった。そして、クリスチャンでなければ、家庭の一員として認められない雰囲気を創り上げられていた。

 

 

しかし私は幼少の頃からずっと考えていた。

 

(なぜ、仏教、イスラム教、ヒンズー教、道教、神道等、こうも宗教が複数ある中、キリスト教を選ばなければならないのか?)

 

私はそれを、『この家に生まれたから』という理由で決めることが、あまりにも安易で、かつ、相対的過ぎると考えていた。相対的、つまり、私がイスラム教徒の圏内で生まれていたらイスラム教徒になっていて、仏教徒の家庭で生まれていたら、仏教徒になっていた。

 

こういう発想は、私には無かった。『同じ人間』ではないのだろうか。そうでなくても、生まれた国や、肌の色が違うのだ。これ以上、なぜ人との間に一線を引かなければならないのか。人間は『世界平和』に向けて生きているんじゃないのか。そうすることで、どんどんそれから、遠ざかるんじゃないのか。私が考えていたのは、そういうことだった。

 

絶対的な自分を隠蔽し、相対的な人生を生きることは、『同調』であり『追従』である。『プライド(意志)』がある人間が取る行動は、相対的な行動ではない。しかし、絶対的な自分を貫いたら貫いたで、また違う絶対的な誰かの思想と、ぶつかることは避けられない。

 

エレノア・ルーズベルト元大統領夫人は言った。

 

では、『人とぶつかる思想』も正当化されるだろうか。アメリカの詩人、ディキンソンは言った。

 

その様な好戦的な思想も『絶対的人格』として認められるだろうか。一つだけ言えることは、我々が生きているのは『人生』だということ。そしてそれは、二度三度あるものではない。自分以外の命も等しく、平等だ。

 

 

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