偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]共和政ローマの作家 エンニウス(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
毎日が平和で嬉しい。何しろ、安心、安全、安穏であることは、家族にとっても、子供にとっても好ましい限りだ。かつて、刺激ばかり求めた若気の至りは、文字通り人として未熟だった。今は、『何もない日が、何よりの幸せだ』ということを知ったのだ。家族がいて、食事を食べて、食卓には笑顔があふれている。これ以上のものは求めない。私はとても、幸せ者である。
…と、思っている人はどれだけいるだろうか。まだ『そこ』にすら辿り着いていない人、そして到達している人には、こんな質問をしたい。
太宰治の次の言葉に、どう答えるつもりだろうか。
さあ、きな臭くなってきた。幸せ?それはそうだろう。
アメリカの詩人、ウィルコックスは言った。
何しろ『環境』が整っている。では、『環境』が整っていない途上国や、動乱の渦中にある諸外国において、今この瞬間も飢餓や、貧困、あるいは理不尽な争いによって命を失っている人間の人生について、あなたは何か働きかけを起こしているだろうか。起こしていないのであれば、つじつまが合う。今が『幸せだ』と思ったことの、つじつまが。
不幸な目に遭わないことは、エンニウスの言う通り、ある種の『麻痺』、そして『遮断』である。自分が(幸せだ)、あるいは(不幸ではない)という認識が続くことによって、『麻痺』するのだ。そして、自分を不幸に陥れる一切の情報を『遮断』する。それによって『多くの幸福に恵まれる』ことと同じく、常に不幸を忘れていられる状態となる。だが、不幸は起きている。今、この瞬間も。それについて、どう対応するかだ。太宰治の言うように、隠蔽するのか。それは、自分がこのたった一度の人生で、決断を下すのだ。
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