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考察
人生とは、それが何かを知った時にはもう半分が過ぎているものだ。
ゲーテは言う。
そう考えると、ワクワクしてくる。少年時代も、青年時代も、老年時代も、全てワクワク楽しめる。単純に、そんな人生が、素晴らしいではないか。
しかし、
『四十歳は青春の老年であり、五十歳は老年の青春である。』
という言葉、『青春の老年』というところに妙な違和感を覚える。ここでいう『老年』がもし『終わってゆく様』を表現しているのであれば、また意味が変わってくる。
『青春の終わり』という意味になるからだ。そして続く五十歳が、『老年の始まり』だと言っているようにも見える。『青春』というのは『始まったばかり』と解釈することができるからだ。
だとしたらこの言葉は、
『40歳でもう人間は立派な大人だ。それまでに整えていなければならない。50歳からはもういつ死んでもおかしくないと思え。それが人間に与えられた時間の考え方だ。』
という戒めのようにも解釈することができる。
例えば、野口英世はこう言っている。
『子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。』
つまり、『40歳までに整えよ』と言っている。
ある学者は、
『人間なんて50歳を過ぎたらもう生きていても意味がない』
と言うし、昔は戦や病気などのせいで、もっと寿命が短かった。それを考えるとこれは、
『人生というものはあっという間に終わる。だから、一日一日を真剣に、思う存分生きよ。』
という戒めの助言なのかもしれない。
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