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桜田門外の変と安政の大獄:井伊直弼暗殺がもたらした政局転換

桜田門外の変


上記の記事の続きだ。井伊直弼は、『安政の大獄』といわれる弾圧を行い、反対派を鎮圧した。一橋派だった水戸藩主の徳川斉昭(慶喜の父)や、越前藩主松平慶永などは謹慎させられ、越前藩士の橋本佐内、長州藩士の吉田松陰など、藩士レベルの人々の多くが処刑されてしまった。


中心人物掲げる人物
一橋派松平慶永、島津斉彬一橋慶喜
南紀派井伊直弼徳川慶福

[斉彬の写真(1857年撮影、尚古集成館蔵)]

島津斉彬(なりあきら)は有能で、保守層から常に警戒される存在だった。福井藩主の松平慶永は、

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と称賛している。

英明(えいめい)
すぐれて賢いこと。

海外の問題があったこの頃、日本の富国強兵は急務となり、冒頭の記事にも書いたように全国に『砲台』等の防衛対策が盛んに行われる。島津はドイツ人医師シーボルトから医学と物理学を学び、西洋の砲術や科学技術、文献の輸入や翻訳などに積極的で、

  1. 反射炉建設
  2. 溶鉱炉
  3. 蒸気機関製造所
  4. 洋式紡績所

などを設置し、『集成館』と名付けられた一帯は、最先端の技術をもった洋式工業団地となる。それは現在『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』として、世界遺産に登録されている。

MEMO
島津斉彬は1851年から現在の鹿児島市吉野町磯地区に工場群を設けて軍事強化と産業育成を図った(集成館事業)。製鉄・造船・紡績など幅広い分野を手掛けた。
反射炉
金属融解炉の一種。18世紀から19世紀にかけて鉄の精錬に使われた。

彼はわずか7年しか在職しなかったが、存命中に下士階級の西郷隆盛大久保利通といった人物を抜擢し、薩摩藩の地位を引き上げ、その基礎に貢献した。その島津斉彬と共に活躍した『幕末の四賢侯(ばくまつのしけんこう)』というのが以下の4名だ。

幕末の四賢侯

  1. 福井藩第14代藩主:松平慶永(春嶽)
  2. 宇和島藩第8代藩主:伊達宗城
  3. 土佐藩第15代藩主:山内豊信(容堂)
  4. 薩摩藩第11代藩主:島津斉彬

その中で、山内豊重と言えば、大河ドラマ『龍馬伝』を見たことがある人なら記憶に新しいかもしれない。坂本龍馬のいた土佐を統治する人物で、剛腕を振舞う権力者だった。下記の記事に書いたように、儒学・朱子学の実力者に佐藤一斎(1772~1859年)という人物がいた。彼の門下生がすごい。

その数は6000人ともいわれているが、錚々たる人物の名がここに挙げられることになる。そして吉田松陰は1830年に生まれ、佐藤一斎が亡くなった1859年に亡くなっている。30歳だった。

[佐藤一斎]

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吉田松陰も『龍馬伝』に出ていたが、1857年に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾する。この松下村塾には、

  • 木戸孝允(桂小五郎)(1833~1877年)
  • 久坂玄瑞(1839~1864年)
  • 高杉晋作(1840~1867年)
  • 伊藤博文(1841~1909年)
  • 山縣有朋
  • 吉田稔麿
  • 入江九一

等々の人物がいて、特に太字の四人は有名人物である。井伊直弼に殺害された橋本佐内は、あの西郷隆盛と交友があった。そしてもう一人の吉田松陰の弟子である彼らは、今後の日本の歴史にとって、極めて重要な存在となっていった。

木戸孝允は、1866年に坂本龍馬と中岡慎太郎の斡旋によって、西郷隆盛と京都の薩摩藩邸で会談をした。『薩長同盟』である。優位な立場にあった薩摩の西郷は横柄な態度を取ったが、苦境の長州を代表し、頭を下げて言った。

木戸孝允
このまま長州が滅びても薩摩が幕府を倒してくれれば本望。

薩摩の西郷隆盛と、長州の桂小五郎が、坂本龍馬の立ち回りによって繋がれ、薩長同盟が結ばれ、それが倒幕のための重要な布石となった。

多くの人はこのようなイメージでこの会談について認識しているだろうが、それは間違ってはいない。後は厳密に、細かい部分があるということだけだ。実際にはこの1年前の1865年に、長州藩主の毛利敬親(たかちか)から『木戸孝允』の名をもらっているので、この時には木戸孝允だったとか、そういうことである。彼の話はまだこの後に出てくる。

久坂玄瑞(くさかげんずい)は、師である吉田松陰が殺されて、大いに憤慨した。その後、吉田松陰の遺志を受け継ぎ尊攘運動に身を投じ、高杉晋作と共に『松下村塾の双璧』と呼ばれる秀才。長州藩として幕府軍と戦うが、わずか25歳という年齢で自害。誰もが彼の早すぎる死を惜しんだ。

[木戸孝允(前列中央)と伊藤博文(後列右端)ら。明治3年(1870年)撮影。]

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久坂玄瑞が松下村塾の秀才なら、高杉晋作は『奇才』だった。伊藤博文は、

『動けば雷電のごとく、発すれば暴雨のごとし。』

と讃えたが、彼も29歳という若さでこの世を去った。1862年に幕府使節随行員として上海に渡ると、すでに欧米によって半植民地化された清の姿を見て、衝撃を受けた。

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やはり外国は敵だ!尊攘活動を急がねばならん!

そう考えた晋作は、帰国後にイギリス公使館焼き討ち事件を起こしたりして、過激化していく。まさに、『アヘン戦争』はイギリスが清に勝った戦争だったから、イギリスを敵視するのは流れ的には相場だった。彼の話もまだこれから後に詳しく出てくる。

そして伊藤博文は、この国の初代内閣総理大臣になる男だ。彼は先輩、高杉晋作、木戸孝允といった人物に鍛えられ、彼も伊藤俊輔という名前だったが、明治維新後は伊藤博文と改名する。彼の話もこの後だ。つまり、井伊直弼が殺してしまった吉田松陰、橋本佐内というのは、幕末、つまり『幕府を終わらせ、新しい時代を作る重要人物』たちに完全に火をつける行動になったのである。

やはり彼らに強く影響を与えたのは『アヘン戦争』だった。吉田松陰はこうした事実を知ると、西欧の兵学を取り入れなければ国防が危ういと判断した。そして、同じく佐藤一斎から影響を受けた最高の洋学者、佐久間象山から砲術と蘭学を学ぶ。彼に逮捕歴があるのは、ペリー来航のとき、アメリカに密航しようとしたからだ。アメリカから突き返された松陰は幕府に自首して投獄される。

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その後、叔父の玉木文之進が中断していた私塾『松下村塾(しょうかそんじゅく)』を再興し、人々の思想を鍛えた。松陰は、

北はカムチャッカ、南はルソン(フィリピン北部)まで領有するべきだ。

と考えていて、その考え方が弟子を通じて、明治新政府の富国強兵、植民地政策に反映されていった。そう考えると、日本を守ろうとした松陰は正しくもあり、別の面から見ると『帝国主義』の思想を煽ったわけで、ヒトラーその他の帝国主義者と変わらない、度が過ぎた愛国心を持った人物だったと言えるだろう。何しろフィリピンの人はどうする。彼らの国を支配することは、日本の為に仕方ないとでも言うのだろうか。

マイケル・サンデルは言った。

見るべきなのは以下の黄金律である。しかし彼ら先人が日本を守ったから現在の我々があるのも確かだ。

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福井藩主の松平慶永が、

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といって、鍋島直正の話を出したが、彼も大型反射炉を作ったり、アームストロング砲、鉄砲の製造に成功。松平慶永、島津斉彬と共に幕末の四賢侯に数えられる伊達宗城も、自前で蒸気船を建造したりして、西洋知識を導入して近代化に尽くした。

[徳川斉昭]

水戸の徳川斉昭も大砲を鋳造し、造艦書を翻訳。下記の記事に蝦夷地を調べた間宮林蔵について書いたが、彼に北方調査依頼をし、海防に力を入れた。

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また、水戸(茨城県水戸市)にある『偕楽園』を開設したのも彼だ。1842年のことだった。衆と偕(とも)に楽しむという意味で、この名前が付けられた。彼は将軍ではないが、偕楽園を『徳川将軍の一人が作った巨大な庭園』として認識している人もいるだろう。それは実はそう遠くはない。彼は、徳川最後の15代将軍、徳川慶喜(一橋慶喜)の父親だからだ。

[偕楽園 筆者撮影]

[偕楽園 筆者撮影]

[偕楽園 筆者撮影]

徳川斉昭は、1860年に心筋梗塞で死去した。井伊直弼が『安政の大獄』を行った翌年のことだった。

さた、安政の大獄で、吉田松陰、橋本佐内らが処刑され、一橋派だった水戸藩主の徳川斉昭や、越前藩主松平慶永などは謹慎させられた。孝明天皇は井伊直弼の勝手な行動に激怒し、退位を口にする。そして、一橋派の面々は、以上の理由によって大いに憤慨していた。

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開国などもってのほか!尊王攘夷だ!外国がこの国を支配し、清のように植民地同然となったらどうなる!

尊攘運動は次第に『倒幕運動』へと様相を変えていき、

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(外国を容認した)幕府を倒せ!

という声が上がるようになる。そして1860年、それは起こった。『桜田門外の変』である。井伊直弼は江戸城の桜田門外の外で何者かに殺害されてしまった。尊攘派志士十数名から襲撃を受けた供周りの60余名は急襲にたじろぎ、何もできなかった。井伊直弼は駕籠(かご)の外から何度も刀を突きさされ、首を落とされ死亡してしまった。

この歴史的シーンは幕末の時代を描いた『るろうに剣心』など至るところで観ることができるが、2010年に公開された『桜田門外ノ変』では、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変とその前後の顛末を、襲撃を指揮した水戸藩士・関鉄之介の視点から描いている。

1860年に老中になったばかりの安藤信正(のぶまさ)は、首のない井伊直弼の遺体の前で、長々と見舞いの言葉を述べ、井伊直弼は『一方的に殺された』のではなく『激闘の末に倒れた』のだと周囲にアピールした。これは彼の戦略だった。

殺害したのは水戸浪士であり、井伊直弼は彦根藩(滋賀県)だ。その武力衝突となれば、余計な二次災害、三次災害となりかねない。彼の機転によって、無駄な争いは避けられた。しかし、この事件によって徳川家康から続いた『圧倒的な徳川一強時代』は幕を閉じたに等しくなる。ここから幕府は朝廷や大名たちと妥協しながら政権運営をしていくことになる。

[桜田門外の変]

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信正は朝廷と幕府の融和『公武合体(こうぶがったい)』を目指し、光明天皇の異母妹・和宮内親王(かずのみやないしんのう)と14代将軍家茂の婚儀を実現させたが、1862年、『坂下門外の変』によって彼も尊攘派浪士によってあわや命を落とすところだった。

和宮と家茂は政略結婚による結婚だった。彼はともに17歳で、普通なら学生だ。しかし彼らの場合は特別だ。この国の命運が彼らの肩にかかっていた。彼女にはいいなずけがいたが、この国の未来の為に、大義を取った。ただ、家茂はとてもやさしく誠実な人で、それが不幸中の幸いだったという。残念ながら、1866年に家茂が死去。わずか6年の結婚生活に、和宮は何を想っただろうか。彼女はその2年後、徳川家討伐のためにやってきた新政府軍に立ち向かった。

『官軍(新政府軍)差し向けられ、御取り潰しに相成り候(そうら)わば、私、一命は惜しみ申さず。』

つまり、家茂公に嫁いできた上は、亡き夫のためにも一命をかけて徳川家を守る覚悟だと主張したのだ。新政府軍への手紙攻勢には篤姫も参加。彼女らは最初、嫁姑のような関係で不和があったが、徳川家が滅ぼされようとするその時、同じ目的で気持ちが一つにまとまったのか、最後は戦友として共に立ち向かった。48歳で亡くなった篤姫は、所持金がたったの3円。32歳で亡くなった和宮は、東京の増上寺にて、家茂の隣に葬られた。

[和宮親子内親王の肖像画]

同じく1862年9月14日に、武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件『生麦事件』が勃発。そして、前述した高杉晋作が起こした『イギリス公使館焼き討ち事件(英国公使館焼き討ち事件)』は、1863年のことだった。

たしかに『アヘン戦争』で清を制圧し、半植民地化したのはイギリスだったが、これは日本人が過剰に外国を警戒し、尊攘思想で頭がいっぱいだったことを意味する、不穏な動きとなった。

この時、アメリカは『南北戦争』で忙しく、貿易する暇はなかった。また、不凍港を求めて南下してきたロシアと揉めていることを考えても、そうした問題があったから、日本がアメリカから狙われなかったのかもしれない。下記の記事に書いたように、近年では『ペリー来航』は捕鯨が目的だったという考え方が有力になっているという。捕鯨と言えば日本が叩かれている印象があるが、当時は欧米でも捕鯨が盛んであり、アメリカは捕鯨船の補給基地として、この日本を押さえておく必要があると判断したという。

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そう考えると、やはりアメリカは隙があればこの国を植民地化しようとした可能性はある。しかしとにかく、彼らは南北戦争で動けなかった。その代わりに活発に動いたのはイギリスだ。当時、安くて質のいいイギリス産の毛織物や綿織物が輸入され、国内の綿織物業が衰退するほどだった。

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また、日本は金と銀の比率が『1:5』だったが、外国は『1:15』で、日本は金が豊富だった。そのため、海外の銀を日本に持ち込み、日本で金貨に交換して海外に持ち出し、海外で銀に交換すると、3倍の銀が手に入った。これはまさに世界が一体化した当時ならではの『裏技』であり、『為替』にも似た問題だった。

例えば1ドルが100円の時に100ドル買えば、1万円だ。だがその後、円高になって1ドルの値段が10円になったとしよう。すると、『10円払えば1ドル手に入る』という状況が生まれる。アメリカに行けば1ドルで売っているものを10円で買えるわけだ。実際には1ドルが10円になることはないが、あくまでもイメージである。

この為替を利用してお金を稼ぐ人は現代においても存在する。とりわけ、日本と外国における為替の端緒となったのは、この時ではないだろうか。

日本にはまだ金があるから価値が低いんだ。他の国では金がないから金を高く買い取ってくれる。3倍の銀が手に入るぞ!

では、イメージを見てみよう。


STEP.1
銀貨が10枚ある

STEP.2
海外ではすでに金銀の割合が『1:15』で金が枯渇している
日本は金と銀の比率が『1:5』である。

STEP.3
日本に銀を持ち込み金と交換する
日本にはまだ金の余裕があるので銀貨10枚で金貨1枚と交換する。

STEP.4
その金貨を海外に持ち出す

STEP.5
海外では金が貴重だから金貨1枚で銀貨30枚と交換できる

STEP.6
銀貨20枚の利益が出る

このようなイメージで『為替利益』を上げることができたわけだ。しかし、そのせいで日本から金が枯渇する問題が起きる。金の流出を防ぐために小判のサイズを小さくした『万延小判』を作るが、それによってインフレと物価の乱効果が起き、問題は悪化してしまった。

このようなことを考えると、確かに開国し、外国と交流することによるデメリットを感じることもあったのだ。様々な問題が入り混じり、この後いよいよ、坂本龍馬が動き出すことになる。そして、先ほど亡くなったとあった14代将軍家茂の後に、最後の将軍となった15代将軍徳川慶喜の時代に突入する。しかし、それは本当にごくわずかな時間だった。260年続いた徳川家の時代が、ついに終幕を迎えようとしていたのである。

しかしまずはそれと同時期に動いていた武士たちの話をする必要がある。『新選組』である。

目次

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論点構造タグ

  • 安政の大獄で「頭脳(吉田松陰・橋本佐内)」を殺したことが、幕府の正統性を決定的に傷つけた構造
  • 井伊直弼暗殺=桜田門外の変が、「徳川一強」から「群雄のせめぎ合い」へのスイッチとなった意味
  • 吉田松陰の松下村塾ネットワーク(木戸・高杉・伊藤・山県…)に火をつけた結果としての「倒幕中枢の形成」
  • 和宮と家茂、篤姫といった「政略結婚で幕府側に立った女性たち」の覚悟と、彼女たちの政治的役割
  • アヘン戦争→清半植民地化→高杉晋作の上海体験→過激な尊攘活動(英国公使館焼き討ち)という連鎖
  • 生麦事件・貿易摩擦(金銀比率1:5 vs 1:15)・万延小判によるインフレと、「開国の負のインパクト」
  • 吉田松陰の「北はカムチャッカ、南はルソンまで」という拡張思想と、「愛国心=帝国主義」に転化する危うさ
  • 第16黄金律「愛国心の『国』は国家ではなく地球」の視点から見た、尊王攘夷と帝国主義の限界

問題提起(一次命題)

  • 井伊直弼が吉田松陰・橋本佐内を処刑したこと、そして自ら桜田門外で討たれたことは、なぜ「徳川一強の終焉」と「倒幕エリートの結集」を同時に加速させる結果になったのか。
  • また、日本を守ろうとした吉田松陰の思想が、なぜその後「日本が他国を支配する帝国主義」の燃料にもなってしまったのか。

因果構造(事実 → 本質)

  1. 安政の大獄:未来の指導者候補を一掃
    • 井伊直弼は、日米修好通商条約への反対・一橋派を抑え込むために安政の大獄を敢行。
    • 橋本左内・吉田松陰ほか、多数の尊攘派志士を処刑、水戸斉昭・松平慶永ら有力藩主を謹慎。
      本質:政敵排除としては成功したが、「道義的には負けた」形になり、のちの維新世代に「幕府=悪」「処刑された志士=正義」の物語を与えてしまった。
  2. 松下村塾ネットワークへの火付け
    • 松陰の門下には木戸孝允・高杉晋作・伊藤博文・山縣有朋ら、のちの明治国家の中枢が勢ぞろい。
    • 師を殺された弟子たちは、「尊王攘夷」から「倒幕」へと思想と行動をシフト。
      本質:安政の大獄は、「一人の思想家」を消したのではなく、「師の死を背負う多数の実行者」を生み出す結果になった。
  3. 幕末四賢侯と雄藩の近代化
    • 島津斉彬(薩摩)、松平慶永(福井)、伊達宗城(宇和島)、山内豊信(土佐)らが、反射炉・蒸気機関・紡績・造船など、西洋技術の導入と藩政改革を進める。
    • 彼らのもとで、西郷・大久保・龍馬らが育ち、「幕府に頼らない力」が地方で蓄積。
      本質:中央が弾圧と条約で手一杯になっている間に、倒幕の物的・人的基盤は着々と「藩」という外縁で準備されていた。
  4. 高杉晋作の上海体験と過激化
    • 晋作は上海で半植民地化された清を目撃し、「次は日本だ」という危機感を持つ。
    • 帰国後、英国公使館焼き討ちなど過激な尊攘行動に走る。
      本質:アヘン戦争は、日本の若いエリートたちに「欧米=脅威」という強烈なイメージを与え、冷静な現実対応よりも感情的な攘夷行動を促す作用を持った。
  5. 桜田門外の変:一強の終焉
    • 1860年、水戸浪士らが江戸城桜田門外で井伊直弼を襲撃し、駕籠に乗ったまま斬殺・首級を挙げる。
    • 安藤信正は「激闘の末の討死」と演出し、水戸 vs 彦根の全面戦争を辛くも回避。
      本質:将軍家を支える最強譜代大名が公然と暗殺されたことで、「徳川に楯突けば殺せる」という現実が全国に知れ渡り、一強神話は崩壊した。
  6. 公武合体と和宮・家茂の悲劇
    • 安藤信正は朝廷と幕府の融和(公武合体)として、和宮と家茂の政略結婚を実現。
    • 家茂は実直で思いやり深く、和宮も最初は不本意ながら、のちには徳川家を守る覚悟を固める。
    • 家茂早世(1866)、和宮は新政府軍に対し「徳川家のために一命は惜しまず」と手紙で訴える。
      本質:構造レベルでは「旧体制側の象徴」だった二人だが、個人としては極めて誠実であり、「構造の罪」と「個人の徳」がねじれた悲劇だった。
  7. 生麦事件・英国公使館焼き討ち・貿易摩擦
    • 生麦事件(1862):薩摩藩行列に乱入したイギリス人が殺傷され、薩英戦争の火種に。
    • 英国公使館焼き討ち(1863):高杉晋作らによる過激攘夷。
    • イギリス産綿製品の流入で国内織物業が打撃。
    • 金銀比率(日本1:5、海外1:15)差を利用した裁定取引で、日本から金が流出。万延小判で小判を小さくするもインフレ加速。
      本質:「開国=すべて良い」でも「攘夷=すべて正しい」でもなく、どちらも現実的なコストと危険を伴っていた。
  8. 吉田松陰の「拡張愛国心」とその危うさ
    • 松陰は「北はカムチャッカ、南はルソンまで領有すべき」と考え、西洋列強に対抗するための先制的拡張を構想。
    • これは「日本を守る」発想であると同時に、他国の主権を軽視する帝国主義的発想でもある。
      本質:愛国心は「防衛」と「侵略」の境界線を越えやすい。どこで線を引くかを誤ると、ヒトラー的な帝国主義と同質の危険を孕む。
  9. 第16の黄金律とマイケル・サンデルの問い
    • サンデル:「愛国心は大いに議論のある道徳的心情だ」とし、国家への愛が美徳にも狂気にもなり得ると喝破。
    • 第16黄金律:「持つべき愛国心の『国』とは国家のことではない。『地球』のことだ。」
      本質:国家単位の愛国心に留まれば、「自国のためなら他国を犠牲にしてよい」という発想に堕ちやすい。視野を「地球」レベルに広げない限り、真の意味での平和志向にはならない。

価値転換ポイント

  • 「志士を殺せば秩序は戻る」 → 「志士を殺せば神話となり、次世代がより過激に動く」
  • 「開国すればすべて解決」 → 「開国は経済的ショックと思想的混乱を必ず伴う」
  • 「攘夷すれば国は守れる」 → 「攘夷は外交・通商・産業の機会を失い、被害を拡大し得る」
  • 「愛国心=無条件の美徳」 → 「愛国心は制御を誤ると帝国主義や戦争の正当化になる危険な刃」
  • 「徳川に忠義を尽くす」 → 「構造が真理から逸れているなら、その構造を終わらせることもまた忠義たりうる」という再定義

思想レイヤー構造

【歴史レイヤー】

  • 安政の大獄(1858–59)→ 吉田松陰・橋本佐内処刑 → 尊攘派・一橋派の憤激 → 桜田門外の変(1860)で井伊直弼暗殺 → 徳川一強から協調・妥協の時代へ。
  • 公武合体(和宮・家茂)→ 坂下門外の変で安藤信正襲撃 → 生麦事件(1862)→ 英国公使館焼き討ち(1863)→ 貿易摩擦・金流出・万延小判。
  • 世界:アヘン戦争→清半植民地化、アメリカは南北戦争前夜、イギリスは世界経済覇権の中で日本との交易を拡大。

【心理レイヤー】

  • 一橋派・尊攘派:
    • 「幕府に殺された師・仲間の仇を討ちたい」「日本を清のようにはさせない」という激情と義憤。
  • 幕府・譜代側:
    • 外圧に妥協せざるを得ない現実と、内部からの激しい非難に挟まれた焦燥と防衛本能。
  • 女性たち(和宮・篤姫):
    • 私情を押し殺して政略結婚に応じ、それでも夫や徳川家を守ろうとする、静かな決死の覚悟。
  • 庶民・商人:
    • 安い外国製品への魅力と、既存産業の壊滅、自分たちの暮らしが揺らぐ不安。

【社会レイヤー】

  • 徳川幕府:安政の大獄・条約・暗殺・公武合体・テロに翻弄され、中央権力としての輝きを完全に失う。
  • 雄藩:薩長土肥・水戸などが西洋技術・思想・軍備を取り込み、新しい「力と正統性」の中心へ。
  • 国際市場:金銀比率差・綿織物の流入など、初期グローバル経済の衝撃が日本社会を直接揺さぶる。
  • 思想空間:尊王攘夷・開国論・富国強兵・帝国主義・地球規模の視野(まだ萌芽)などが交錯。

【真理レイヤー】

  • 国家単位の「俺たちだけが正しい」という発想は、どの国・どの時代でも、戦争や植民地支配に直結しやすい。
  • 真理(愛・神)から逸れ、「血」「民族」「国家」を絶対視し始めたとき、人類は必ず虚無(殺し合いと荒廃)に向かう。
  • 先人たちの勇気と犠牲に敬意を払いながらも、「同じ誤謬を繰り返さないために、どこで線を引くべきか」を見極める必要がある。

【普遍性レイヤー】

  • 現代のナショナリズム・排外主義も、吉田松陰のような「防衛的愛国心」と同じ構造を持ち、条件次第で帝国主義・テロに転化し得る。
  • グローバル経済の為替・裁定取引の起点は、この幕末の金銀比率差利用にも通じる発想であり、「数字のゲーム」が実体経済と国家財政を揺らす構造は今も同じ。
  • 「国家を守る」ことと「地球全体の平和を守る」ことが、必ずしも一致しない現実を認めたうえで、どのレベルの“国”を愛するのかを問い直す必要がある。

核心命題(4〜6点)

  1. 桜田門外の変は、単に一人の大老が殺された事件ではなく、「徳川一強神話の破壊」と「尊攘派の正統性神話の確立」という二つの大転換点だった。
  2. 安政の大獄で吉田松陰と橋本佐内を殺したことは、短期的には幕府の威厳を保ったように見えて、長期的には「倒幕エリート」を団結させる最大の燃料となった。
  3. 吉田松陰のような防衛的愛国心は、日本を守ろうとした点では正しくとも、その延長線上に「他国の支配」まで含めてしまった瞬間、帝国主義と同じ危険を孕む。
  4. 開国と攘夷はどちらも単純な善悪ではなく、どちらの選択にも現実的なデメリットとリスクがあり、それを見極めずに感情だけで動くと、国も人も大きな代償を払わされる。
  5. 本当に持つべき愛国心は、第16の黄金律が言うように「国家」ではなく「地球」を対象とする視野の広さでなければならず、その視点を欠いた尊王攘夷と帝国主義は、いずれも真理から逸れた兄弟のような思想である。

引用・補強ノード

  • 井伊直弼:日米修好通商条約調印・安政の大獄を断行し、桜田門外の変で暗殺された譜代大名。
  • 橋本佐内・吉田松陰:安政の大獄で処刑された思想家。松陰は松下村塾を通じて倒幕エリートを育成。
  • 松下村塾の門下:木戸孝允・高杉晋作・伊藤博文・山縣有朋など、明治国家の中核を担う人材。
  • 幕末四賢侯:松平慶永・伊達宗城・山内豊信・島津斉彬。技術導入と藩政改革で雄藩の土台を整備。
  • 徳川斉昭:軍備増強・海防・偕楽園創設などで知られ、一橋慶喜の父として「最後の将軍」の思想的背景となる。
  • 和宮・家茂・篤姫:公武合体の象徴であり、「構造の罪」と「個人の徳」のねじれを体現した人物たち。
  • 生麦事件・英国公使館焼き討ち・金銀裁定取引・万延小判:開国による摩擦とショックの具体例。
  • マイケル・サンデル:『愛国心は大いに議論のある道徳的心情だ』とした政治哲学者。
  • 第16の黄金律:「愛国心の『国』とは国家ではなく地球」と定義し直す視点。

AI文脈抽出メタデータ

主題:

  • 安政の大獄と桜田門外の変を軸に、幕府権威の失墜と尊王攘夷思想の高まり、吉田松陰らの思想がその後の帝国主義的拡張にもつながる二面性を持っていたこと、そして愛国心の対象を「国家」から「地球」へと拡張すべきだという黄金律的視点を絡めて読み解く。

文脈:

  • ペリー来航→和親・修好通商条約→安政の大獄→桜田門外の変→公武合体→尊攘テロ(生麦事件・焼き討ち)→貿易摩擦・金流出→倒幕・維新へ。並行して世界ではアヘン戦争・帝国主義・南北戦争・産業革命が進行。

世界観:

  • 世界が一体化するプロセスは、文明・技術の共有だけでなく、宗教・神話・思想の衝突を必然的に伴う。
  • 各国の愛国心・宗教心は、そのままではしばしば戦争・帝国主義の火種となるが、その対象を「地球」へと拡張したときにだけ、真理(愛・神)に近づく。

感情線:

  • 師を奪われた弟子たちの怒りと悲しみ。
  • 井伊直弼の「秩序を守ろうとしたがゆえの強権」と、その報いとしての暗殺。
  • 和宮・篤姫の「個人としての幸福を捨てて徳川家に嫁いだ覚悟」と、その後の孤独と喪失。
  • 清の没落を見た高杉晋作の衝撃と、過激攘夷へ突き進む焦燥感。
  • 開国の波に翻弄される商人・農民・町人の戸惑いと葛藤。

闘争軸:

  • 幕府権威 vs 尊王攘夷勢力
  • 開国現実派 vs 攘夷情念派
  • 創業者一族主義(徳川) vs 実力主義(雄藩・松下村塾ネットワーク)
  • 国家単位の愛国心 vs 地球単位の愛国心
  • 防衛的ナショナリズム vs 侵略的帝国主義
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