『シオニズム運動』
ハニワくん先生、質問があるんですけど。
先生では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。
ハニワくんなるへそ!
博士も、もっと詳しく教えてくだされ!
エルサレムはすべての『アブラハムの宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム教)』にとっての聖地です。
そのエルサレムがあるのがパレスチナです。
ユダヤ人『ここはもともと神が我らに与えた場所だ!』
アラブ人『2千年前のことなんか知らん!』
彼らは宗教(考え方)の違いによって、このようにいがみ合い続けます。それは現在進行形です。1948年のユダヤ人におけるイスラエル国家の樹立宣言は、前年の『パレスチナ分割案』による影響が大きい。1947年の国連総会でパレスチナ分割案が採択されましたが、これは『人口では約3分の1のユダヤ人にパレスチナの約6割の地を与える』というあまりにもユダヤ人びいきされたもので、アラブ人にとっては理不尽この上ないものでした。そこでアラブ人の不満が爆発し、建国されたばかりのイスラエルを攻撃し、『第一次中東戦争』が勃発してしまうのです。
『現代イスラエルの父』ロスチャイルド家のエドモンもシオニズム運動に熱心で、バルフォア宣言以前から初期のユダヤ人入植者のために私財を投げ打ってパレスチナの土地を購入していたりしていました。しかし、彼自身はアラブ人の事情も知っていたため、ユダヤ人のイスラエル建国は反対していたようです。しかしユダヤ人たちのシオニズム運動は強行され、中東戦争に繋がってしまいました。
博士うーむ!やはりそうじゃったか!
ハニワくん僕は最初の説明でわかったけどね!
先生更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。
イスラエル建国

上記の記事の続きだ。イギリスの三枚舌外交が原因で、ユダヤ人が『バルフォア宣言』にもとづいてパレスチナ移動してきた。しかし、そこにはすでにアラブ人が住んでいる。
ユダヤ人ここはもともと神が我らに与えた場所だ!
アラブ人2千年前のことなんか知らん!
そして1948年に、パレスチナを統治していた英国が手を引くと、5月18日、ユダヤ人はイスラエルの建国を宣言した。しかし、周辺国はイスラエルの建国を否定したのだ。アラブ連盟がパレスチナへ侵攻し、第一次中東戦争が始まる。
ユダヤ人はパレスチナの地を購入するための基金を設立。先祖の地へと帰り始める。
帰ってくるユダヤ人の数が増すと彼らを収容するテルアビブが作られる。
英国の外相バルフォアは『バルフォア宣言』として、アラブ人に対し、ユダヤ人が国家を建設するのを認めさせるよう宣言する。
しかし『バルフォア宣言』は破棄され、ユダヤ人もアラブ人も強行突破に出る。
パレスチナを統治していた英国が手を引く。
ユダヤ人はパレスチナにてイスラエルの建国を宣言。
周辺国はイスラエルの建国を否定し、第一次中東戦争が勃発。
第二次中東戦争(スエズ戦争)が勃発。
第三次中東戦争(6日戦争)が勃発。
第四次中東戦争(10日戦争)が勃発。
反ユダヤ主義
冒頭の記事でそこまでの流れを記載してある。では、『バルフォア宣言』が破棄される前の動きを見てみよう。実は、ヒトラー個人やナチスに限らず、ヨーロッパ全体に反ユダヤ主義が根付いていた。その理由はやはり、『イエス殺害』と『越権的な律法主義』、そして『唯一神への絶対的な信念』という『推進力』だと言えるだろう。
1933年の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の権力掌握以降、反ユダヤ主義が国是となったドイツにおいては様々なユダヤ人、共産主義者に対する迫害が行われていた。第二次世界大戦の勃発後ナチス内部で、
ナチス内部「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決」を行おう!
とする動きが強まり、ドイツ国内や占領地のユダヤ人を拘束し、強制収容所に送った。そして戦争が始まり、ヒトラーは『ホロコースト』を行った。
反ユダヤ主義の原因
- イエス殺害
- 越権的な律法主義
- 唯一神への絶対的な信念
ヒトラーはそれを利用して、政治権力を獲得していったのだ。

パレスチナ分割案
ユダヤ人はパレスチナに移住し、ナチスの迫害から逃げる。しかし、すでにそこに住んでいてアラブ人と対立してしまい、前述したような言い合いになったわけである。しかし、ホロコーストのこともあって世界はユダヤ人に同情的だった。そして、1947年の国連総会で、パレスチナをアラブ人国家とユダヤ人国家に分割する決議が採択(パレスチナ分割案)され、先ほどの1948年のユダヤ人におけるイスラエル国家の樹立宣言につながったのである。

しかしこの分割案は、『人口では約3分の1のユダヤ人にパレスチナの約6割の地を与える』というあまりにもユダヤ人びいきされたもので、アラブ人にとっては理不尽この上ないものだった。そこでアラブ人の不満が爆発し、建国されたばかりのイスラエルを攻撃し、『第一次中東戦争』が勃発したのだった。

『アラブ連盟』VS『西側諸国』
なぜこのような対応になったのかは上記の記事に書いたとおりだ。ユダヤ人には『推進力』があり、だからこそいつでもどこでも何かしらの問題を起こすが、しかしその一方で、ずば抜けた能力を発揮させていった。つまり彼らには経済力と影響力があったのだ。そして、米国にいたユダヤ人は、
- マスコミ
- 経済界
- 政府
といった世界に深く根を張り、力を持っていてそのおかげで米国からの支援を掴み取ったのだ。そしてその米国に続き、西欧諸国もイスラエル側についた。こうして、
『アラブ連盟』VS『西側諸国』
という図式が成立していったのである。

ロスチャイルド家
ちなみに冒頭の記事にも書いたが、1917年、バルフォアが『バルフォア宣言』として、
バルフォアユダヤ人のパレスチナ復帰援助をするから、戦費をくれ!
とイギリスのユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送ったが、この『ロスチャイルド家』というのは、ユダヤ人の中で最も経済的に成功を収めた財閥である。
シオニズム(シオン運動、シオン主義)というのは、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動のことだが、ユダヤ人のこうしたパレスチナ移住、建国の行動は、まさにシオニズムである。
このライオネル・ウォルター・ロスチャイルドはシオニズムに好意的な考え方を持っていた。ロスチャイルド家は英国ユダヤ人に反シオニズム組織を創設させるなど完全に反シオニズムの立場だったから、ウォルターは英国ロスチャイルド家の中で異端の人物だったといえる。だから彼にバルフォア宣言をするということは、『ユダヤ人に対する約束』でもあったということだ。
もっともウォルター自身もシオニズムにさほど熱心だったわけではなく、これを積極的に推進していたのはパリ・ロスチャイルド家のエドモンだった。彼は『現代イスラエルの父』とも言われていて、バルフォア宣言以前から初期のユダヤ人入植者のために私財を投げ打ってパレスチナの土地を購入していた。ただ、彼自身はアラブ人の事情も知っていたため、ユダヤ人のイスラエル建国は反対していたようだ。このような背景のもと、ユダヤ人たちのシオニズム運動は強行されたのである。

エルサレムはすべての『アブラハムの宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム教)』にとっての聖地だ。
嘆きの壁(ユダヤ教)

ローマ帝国によって壊されたソロモン神殿の一部分で、ユダヤ人にとっては唯一の聖地。
岩のドーム(イスラム教)

ウマイヤ朝のイスラム世界最古の建造物。岩からムハンマドが天国に旅立ったとされる。
聖墳墓教会(キリスト教)

イエスが処刑された『ゴルゴタの丘』の丘に建つ教会で、イエスの墓があるキリスト教の聖地。
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