ハニワくん
先生いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
- マーシャル=プランって何?
- コミンフォルム(共産党情報局)って何?
- 冷戦(1947-1991年)って何?
1.ソ連の欧州への影響力を排除するための、アメリカによる欧州経済の計画です。
2.アメリカに対抗した、ソ連による東ヨーロッパの支配を意図した国際共産主義運動です。
3.直接戦争はしないものの、水面下で確実に戦争状態となったアメリカとソ連の状況です。
ハニワくん
博士第二次世界大戦後はこのアメリカとソ連の『冷戦』が世界的な問題でした。
核保有国である両国は、日本が核爆弾を落とされた事例を目にしていて、そう簡単には核爆弾を使いたくないと考えます。核爆弾を使った戦争を起こしたら今度こそ世界は終わるからです。しかし、核保有国が戦争をしたなら、どちらかが戦況を有利にするために核爆弾を使う可能性がとても高くなります。ですから、第二次世界大戦以降の核保有国同士の戦争というのは、そう簡単には全面戦争を起こさず、『牽制』や『代理戦争』に留まるのが相場となりました。
| 資本アメリカ『マーシャル=プラン』 | 社会ソ連『コミンフォルム』 |
| 社会ソ連『ベルリン封鎖』 | 資本アメリカ『ベルリン空輸』 |
| 資本アメリカ『NATO結成』 | 社会ソ連『COMECON結成』 |
| 資本アメリカ『韓国支援』 | 社会ソ連『北朝鮮支援』 |
| 資本アメリカ『日米安全保障条約、SEATO、ANZUS結成』 | 社会ソ連『ワルシャワ条約機構結成』 |
その後の米ソは、いたるところで水面下の戦争をし続け、この世界の主導権を争いました。そしてこの後、『ベトナム戦争』、『キューバ危機』等のさらなる問題を引き起こし、冷戦はクライマックスを迎えます。
博士
ハニワくん
先生[adrotate banner=”3″]
冷戦
『冷戦』

上記の記事の続きだ。1946年、イギリスのチャーチルがクルトン演説、そして1947年、アメリカのトルーマンが『トルーマン・ドクトリン』と呼ばれる演説を行い、アメリカはギリシャとトルコへの支援を表明し、アメリカとソ連は対立することになった。『冷戦』の始まりである。チャーチルの演説で『鉄のカーテン』がヨーロッパに敷かれていることが明言され、資本主義陣営VS社会主義陣営の国がそのラインで分かれていることが問題視された。
『マーシャル=プラン』と『コミンフォルム(共産党情報局)』
資本主義側としては、ソ連のような社会主義陣営が勢いを上げるのは面倒なことだ。したがって、まず、1947年に米国務長官マーシャルが、ソ連の欧州への影響力を排除するため、アメリカによる欧州経済の計画『マーシャル=プラン』を発表。しかし、それに対抗してソ連も東ヨーロッパの支配を意図して『コミンフォルム(共産党情報局)』を結成。これでヨーロッパの東西分裂は確実なものになった。『鉄のカーテン』が更に真実味を帯びてしまったのである。

[マーシャル・プランに基づく援助物資を識別するために使用されたロゴ。「欧州復興のため、アメリカ合衆国により供給」と記されている。]
ヨーロッパの取り込み対策
| アメリカ(資本主義陣営) | マーシャル=プラン |
| ソ連(社会主義陣営) | コミンフォルム |
ベルリン封鎖
1949年、連合国の分割占領を受けていたドイツは、東西に分割された。ドイツは敗戦によって4つの土地に分けられ、
- アメリカ
- イギリス
- フランス
- ソ連
がそれを分割して占領していた。

[連合国各国に分割占領されたドイツ]
ソ連以外は資本主義国家なので、ドイツはこの冷戦の影響を顕著に受けたわけである。特にベルリンの西側地域は、ソ連の中に浮かぶアメリカの浮島のようになっていて、その対応に困った。

[ソ連占領地域内にある首都ベルリンは、別途4か国で分割占領された]
1948年4月1日に、ソ連軍政当局は西ベルリンへ向かう人員や貨物について検問を強行し、西ベルリンへの物資搬入にも制限がかけられた。さらに、5月にソ連が6月24日に東側領域において『通貨改革』を実施することを宣言。すると、すかさず西側も6月20日より西側領域(西ドイツ、西ベルリン)でも『通貨改革』を実施すると公表した。この結果、マーシャルプランに保障される西側通貨(マルクB、ドイツマルク)が力を持つようになり、西側の通貨の価値は高騰し、東側の通貨改革は失敗することとなった。
そこでソ連は、『ベルリン封鎖』を実行する。東ドイツの中の浮島である西ベルリンの鉄道や道路を遮断し、エルベ川と運河を経由した船舶輸送も停止され、西ドイツとの間を結んでいた4本のアウトバーンも閉鎖され、国境の検問所にはバリケードが設置されて物流を完全に停止させた。東ドイツから送電している電気の供給も停止させた。
つまりソ連率いる東ドイツ側は、ベルリンを封鎖することで『東ドイツの中にある西ベルリン』を陸の孤島化させて『兵糧攻め』をし、200万人近くいる市民を生活困難に陥らせて白旗を上げさせる作戦に出たのだ。さらに政治宣伝を行い、西ベルリン市民の取り込みを図った。ソ連側は、物資不足に反発した西ベルリン市民が、
西ベルリン市民と主張し、暴動やストライキを発生させ、社会主義革命が発生することを期待し、西側に西ベルリンの支配を放棄させることを狙っていた。
ベルリン空輸
では、西ベルリンの人々は一体どの選択肢を選んだのだろうか。
- そのまま資本主義陣営としてソ連(東ドイツ)に抗い続ける
- ソ連(社会主義陣営)に回ってこの状況を打破する
実は、彼らが取った選択肢はこの中にはなかった。実は、東ドイツから兵糧攻めに遭った陸の孤島、西ベルリンに、アメリカが空中から物資を運び、バックアップをしたのだ。その結果200万人もいた彼ら市民は、1年間も飢えをしのぐことができ、時間稼ぎができた。『ベルリン空輸』である。

[西ベルリンのテンペルホーフ空港に物資を空輸してきた輸送機を見上げるベルリン市民]
それを成し遂げるだけの財力がアメリカにはあった。ソ連はその圧倒的な力を前にしては、折れて封鎖の解除をするしかなかった。そしてベルリン封鎖後、ドイツの分裂は決定的となり、1949年、
- 西ドイツ
- 東ドイツ
は別の国と化した。
『北大西洋条約機構(NATO)』と『経済相互援助会議(COMECON)』
同年、アメリカと西欧諸国は、集団安全保障同盟である『北大西洋条約機構(NATO)』を結成し、ソ連も対抗して『経済相互援助会議(COMECON)』を結成。欧州の東西対立が、双方の軍事同盟にまで発展したのである。
ソ連は東ヨーロッパを親ソ的な国にしようとしたのは、第二次世界大戦の影響だった。『独ソ戦』で甚大な被害を受けたソ連は、自分の国の周辺諸国を取り込んでおけば、次にあり得る被害の低減が可能になると考えたのだ。
ソ連の周りを社会主義国家にすれば、親ソ的な国が増え、次の被害は抑えられるぞ
ということだったのである。そして、アメリカ率いる資本主義陣営が、
ソ連がこれ以上社会主義国家を増やしたら、脅威になるぞ
と考え、それを抑えようとして『冷戦』は始まったのだ。その中でこうした『ドイツの東西分割』騒動もあったということである。
朝鮮半島の争い
そしてベルリン封鎖事件の後にも、まだまだ問題は起こった。下記の記事に書いたように、朝鮮半島をめぐって『日清戦争(1894年~1895年)』が起きたわけだ。結果は日本が『清』に勝ち、朝鮮は日本の植民地となった。

[ジョルジュ・ビゴーによる当時の風刺画(1887年)日本と中国(清)が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている]
だが、第二次世界大戦の後、北緯38度線を境に、米ソによる分割を受ける。北はソ連、南はアメリカによって支配された。そして東西冷戦が進行する中、南北に分断されて、この2つの国が生まれたわけだ。『北朝鮮』と『韓国』である。
| 北 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
| 南 | 大韓民国 |
そして、彼らは彼らで『朝鮮戦争(1950年6月)』というものを起こしてしまう。

つまりこういうことだ。
| 地域 | 国名 | 首班・首相 | 支援者 |
| 北 | 朝鮮民主主義人民共和国 | 金日成 | スターリン(ソ連) |
| 南 | 大韓民国 | 李承晩 | アメリカ |
この朝鮮半島の分裂による『朝鮮戦争』の背後には、ソ連とアメリカがいた。ここにも冷戦の影響が及んでいたということだったのである。
『日米安全保障条約、SEATO、ANZUS結成』と『ワルシャワ条約機構』
アメリカ側はこの戦中、戦後に、
- 日米安全保障条約
- ANZUS(オーストラリア・ニュージーランド)
- SEATO(東南アジア諸国)
という軍事同盟を作り、ソ連側も1955年に『ワルシャワ条約機構』を結成した。ますますソ連側とアメリカ側の力は膨らむ一方となり、いつまでも彼らは対立し続けた。
そんな最中の1953年、社会主義陣営のトップもある、ソ連の独裁者スターリンが死去する。これによって事態は大きく急変することになる。
次の記事

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参考文献
論点構造タグ
#冷戦構造のスタートダッシュ
#マーシャル=プラン vs コミンフォルム
#ベルリン封鎖とベルリン空輸
#NATO・COMECON・ワルシャワ条約機構
#朝鮮戦争=典型的な代理戦争
#日米安保・SEATO・ANZUSの「反ソ包囲網」
#核抑止時代の「全面戦争できない戦争」
#スターリン死去と冷戦構造の揺らぎ
問題提起(一次命題)
「第二次世界大戦の直後、なぜアメリカとソ連は
互いに直接は撃ち合わない『冷戦』という形で
44年も世界を二分する対立構造を作り上げてしまったのか。
その立ち上がりのフェーズで、具体的にどんな“一手 vs 一手”が打たれていたのか。」
因果構造(事実 → 本質)
- 冷戦の出発点:鉄のカーテンとトルーマン・ドクトリン
- 1946 チャーチル「鉄のカーテン」演説:
- ヨーロッパに資本主義陣営と社会主義陣営の見えない境界線が敷かれたことを明言。
- 1947 トルーマン・ドクトリン:
- 「ギリシャ・トルコが共産主義勢力に脅かされている。
このままだと世界はドミノのように共産化する。
自由諸国を支援するのはアメリカの使命。」
→ ここでアメリカは明確に「反共の旗」を掲げ、
ソ連の影響拡大を止める役を自任する。
- 「ギリシャ・トルコが共産主義勢力に脅かされている。
- 1946 チャーチル「鉄のカーテン」演説:
- 一手目:経済戦争『マーシャル=プラン』 vs 『コミンフォルム』
- アメリカ:
- 1947 マーシャル=プラン(欧州復興計画)
- 表向き:欧州経済の復興。
- 内実:ソ連の影響力を排除し、西欧を資本主義陣営に固定する戦略。
- ソ連:
- 対抗して『コミンフォルム(共産党情報局)』を結成。
- 東欧の共産党を束ね、東ヨーロッパの親ソ化・支配を強化。
→ ヨーロッパは経済レベルから、「アメリカの欧州」 vs 「ソ連の東欧」にくっきり割れる。
- アメリカ:
- ベルリン封鎖 vs ベルリン空輸:象徴的な綱引き
- ドイツ:敗戦後4分割占領(米英仏ソ)。
- ベルリン:ソ連占領地域の真ん中をさらに4分割 → 西ベルリンは「東の中の西の孤島」。
- 1948〜49:
- 西側は通貨改革(マルク) → 西側通貨の価値上昇、東側の改革は失敗。
- ソ連は「ベルリン封鎖」を実行。
- 鉄道・道路・船舶・送電を止め、西ベルリンを兵糧攻めに。
- 200万人の市民を飢えと不安に追い込み、社会主義陣営への転向を狙う。
- アメリカ側の応答:
- 『ベルリン空輸』で1年間、西ベルリンに空から物資を供給。
→ 圧倒的な財力・ロジスティクスで、封鎖戦略を無効化。
- 『ベルリン空輸』で1年間、西ベルリンに空から物資を供給。
- 結果:
- ソ連は封鎖を解除。
- 1949 西ドイツと東ドイツの分裂が決定的になる。
- 軍事・経済ブロック化:NATO vs COMECON・ワルシャワ条約機構
- 1949:
- アメリカ+西欧諸国 → 集団安全保障同盟『NATO(北大西洋条約機構)』結成。
- 1949〜:
- ソ連側 → 『COMECON(経済相互援助会議)』設立。
→ 経済も軍事も、「西側ブロック vs 東側ブロック」に二極化。
- ソ連側 → 『COMECON(経済相互援助会議)』設立。
- 1955:
- 西側が再軍備した西ドイツのNATO加盟を受け、
ソ連は『ワルシャワ条約機構』で軍事同盟網を固める。
- 西側が再軍備した西ドイツのNATO加盟を受け、
- 1949:
- 朝鮮戦争:典型的な「冷戦の代理戦争」
- 朝鮮は元々、日本と清が奪い合っていた地域(日清戦争)。
- 第二次大戦後:
- 北緯38度線でソ連(北)・アメリカ(南)による分割統治。
- 南:大韓民国(李承晩、アメリカ支援)。
- 北:朝鮮民主主義人民共和国(金日成、ソ連支援)。
- 1950:北朝鮮が38度線を越えて南侵 → 朝鮮戦争勃発。
- 国連軍(実質アメリカ主導)が韓国側で参戦、
中国義勇軍が北朝鮮側で参戦し、戦線は38度線付近で膠着。 - 1953:休戦協定。
→ 表面的には南北戦争だが、その背後には「アメリカ vs ソ連(+中国)」の冷戦構図。
- 世界規模の同盟ネットワーク:『包囲網』の拡大
- アメリカ側:
- 日米安全保障条約(日本)
- ANZUS(オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ安全保障条約)
- SEATO(東南アジア条約機構)
→ アジア太平洋にも「反ソ・反共の輪」を広げる。
- ソ連側:
- 東欧を社会主義国家で固め、ワルシャワ条約機構で軍事ブロックを完成。
→ 地球規模で「どこを見ても、背後にアメリカかソ連がいる」状態になる。
- 東欧を社会主義国家で固め、ワルシャワ条約機構で軍事ブロックを完成。
- アメリカ側:
- 核保有国同士の戦争が「全面戦争になれない」理由
- ヒロシマ・ナガサキを両陣営とも目撃している:
- 「核兵器を使えば、次は世界が終わるかもしれない」という共通の恐怖。
- しかし、核を持った以上、
- 戦争で追い詰められれば使う可能性が高くなる。
→ その結果: - 核保有国同士は、全面戦争を避け、
「牽制」「代理戦争」「軍拡競争」「心理戦」に勝負の場を移した。
- 戦争で追い詰められれば使う可能性が高くなる。
- ヒロシマ・ナガサキを両陣営とも目撃している:
価値転換ポイント
- 熱い世界大戦 → 冷たい世界戦争(Cold War)へ
- 第一次・第二次世界大戦:
- 同盟国同士が真正面から撃ち合う「総力戦」。
- 冷戦:
- 核兵器があるため、
「真正面から撃ち合う=相互破滅」になりかねない。
→ だから、「直接は戦えない世界戦争」に姿を変えた。
- 核兵器があるため、
- 第一次・第二次世界大戦:
- 「地政学」だけでなく「イデオロギー」が正面衝突の軸になった時代
- それまで:
- 領土・資源・市場の争奪戦が主軸。
- 冷戦:
- 「資本主義 vs 社会主義」「自由 vs 共産」という
思想・体制の違いが露骨に対立軸となる。
- 「資本主義 vs 社会主義」「自由 vs 共産」という
- それまで:
- 同盟と援助が「内政」ではなく「世界戦略」の一部になる
- マーシャル・プラン・コミンフォルム・NATO・COMECON・ワルシャワ条約…
→ どの国を支援し、どの国を自陣営に組み込むか、
その選択が世界戦略と直結する時代になった。
- マーシャル・プラン・コミンフォルム・NATO・COMECON・ワルシャワ条約…
思想レイヤー構造
【歴史レイヤー】
- 1945:第二次世界大戦終結・国連発足
- 1946:鉄のカーテン演説
- 1947:トルーマン・ドクトリン・マーシャル・プラン
- 1947〜48:コミンフォルム設立
- 1948〜49:ベルリン封鎖 → ベルリン空輸 → ドイツ分裂
- 1949:NATO・COMECON、ドイツ分断体制固着
- 1950〜53:朝鮮戦争(典型的な代理戦争)
- 1950年代前半:日米安保・SEATO・ANZUS/ワルシャワ条約機構
【心理レイヤー】
- アメリカ側:
- 「共産主義がドミノのように広がる」という恐怖。
- 自由主義世界の“守護者”としての使命感と責任。
- ソ連側:
- 独ソ戦の巨大な犠牲 → 「二度と自国を戦場にしたくない」という強烈な恐怖。
- 資本主義陣営による包囲と干渉への警戒と被害者意識。
- 分断国家(ドイツ・朝鮮など)の人々:
- どちらの陣営につくかを「選ばされる」形で生きる不安。
- せめて生き延びたいという現実的な心理と、
どこかで理想を諦めきれない心理の揺れ。
【社会レイヤー】
- 欧州:
- ドイツ分断・ベルリン分断が「冷戦の前線」になる。
- アジア:
- 朝鮮戦争・日米安保・SEATO・ANZUSと、
東アジア・東南アジアが冷戦構造に巻き込まれる。
- 朝鮮戦争・日米安保・SEATO・ANZUSと、
- グローバル:
- どの地域の戦争・内乱も、
「背後にアメリカかソ連がいるのでは?」という時代。
- どの地域の戦争・内乱も、
【真理レイヤー】
- 核を持った大国同士は、
「勝てない戦争」をしながら、
「負けられない対立」を続けることになる。 - その結果、全面戦争は避けても、
代理戦争や経済戦争・情報戦で、
別の形の犠牲が広がる。
【普遍性レイヤー】
- 「抑止」のための軍備と同盟は、
行き過ぎると「小さな火種でも大炎上する構造」を作る。 - 「敵の拡大を恐れる心理」は、
どの時代でもブロック化と包囲網を呼び、
あらゆる地域の争いを“世界規模の案件”に変えてしまう。
核心命題(4〜6点)
- 冷戦は、資本主義アメリカと社会主義ソ連が、核兵器という「最終カード」を抱えたまま、直接戦争を避けつつ世界の主導権を争い続けた44年間の「大戦なき世界戦争」であり、その構図はマーシャル・プランとコミンフォルム、ベルリン封鎖とベルリン空輸、NATOとCOMECON/ワルシャワ条約機構などの「一手 vs 一手」に典型的に現れた。
- ドイツや朝鮮半島など分断された地域では、冷戦が抽象的なイデオロギー対立ではなく、「どちらの陣営に命を預けるか」という具体的・日常的な問題として現れ、人々は生存と思想の間で選択を迫られ続けた。
- ヒロシマ・ナガサキを見た後の世界では、「核保有国同士の全面戦争=文明の終わりかもしれない」という共通認識が生まれ、そのために冷戦は、全面戦争ではなく牽制と代理戦争、同盟と経済戦争の形をとらざるを得なかった。
引用・補強ノード
- チャーチル「鉄のカーテン」演説(シュチェチン〜トリエステ)。
- トルーマン・ドクトリン(ギリシャ・トルコ支援とドミノ理論)。
- マーシャル・プランの援助物資ロゴ(「欧州復興のため、アメリカ合衆国により供給」)。
- ベルリン封鎖とベルリン空輸の構図。
- NATO・COMECON・ワルシャワ条約機構、日米安保・SEATO・ANZUSの相互関係。
- 朝鮮戦争のステップ(統一構想→米ソ分割→韓国・北朝鮮成立→戦争→休戦)。
AI文脈抽出メタデータ
主題:
第二次世界大戦後に、アメリカとソ連が
欧州復興・軍事同盟・経済圏・代理戦争を通じて世界を二分し、
核兵器の存在ゆえに「直接戦えないのに止められない」
冷戦構造を形成していったプロセス。
文脈:
- 歴史状況:国連設立、鉄のカーテン、トルーマン・ドクトリン、マーシャル・プラン、コミンフォルム、ベルリン封鎖&空輸、NATO/COMECON/ワルシャワ条約機構、朝鮮戦争、日米安保・SEATO・ANZUS。
- 思想系統:資本主義 vs 社会主義、封じ込め政策、集団安全保障、核抑止。
世界観:
- 二度の世界大戦と原爆を経た人類は、
「熱い世界戦争」は何とか避けたが、
その代わりに「冷たい世界戦争」という、
別のタイプの長期的危機を抱え込むことになった、
という見方が底に流れている。
感情線:
- アメリカの「自由世界を守る」という使命感と恐怖。
- ソ連の「再び侵略されまい」という被害者意識と防衛名目の拡張。
- 分断された地域の人々の、
「どちらかを選ばされるしかない」という閉塞感。
闘争軸:
- 資本主義陣営 vs 社会主義陣営。
- アメリカの封じ込め戦略 vs ソ連の勢力圏拡大。
- 国連という「平和の場」 vs 現実のブロック政治と軍事同盟網。



































