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日中戦争と「抗日戦争」という呼称:言葉が示す歴史認識

日本開国→日清戦争→日露戦争→第一次世界大戦・日中戦争・第二次世界大戦


ハニワくん

先生、質問があるんですけど。

先生

では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。


いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

1.満州事変って何?
2.日中戦争(1937年7月7日から1945年9月9日)の原因は?
3.日中戦争の内容と結果は?

1.満州の日本軍が、日本が経営していた南満州鉄道を爆破し、それを中国軍のせいにして、奉天と大連を制圧し、満州を占領した事件です。
2.以前から充満していた『日本VS中国』の思想が、1937年7月の盧溝橋事件(七七事変)』で沸点を迎え、戦争に至りました。
3.すぐに『第二次世界大戦』が始まったので、アメリカ・イギリス等の連合軍側にいた中国に、日本が負けることになりました。


ハニワくん

なるほど!

博士

も、もっと詳しく教えてくだされ!


日本は短期決戦を望みますが、そもそも中国の『第二次国共合作』は手ごわく、戦争は長引きました。

そんな最中の1939年、ドイツがポーランドを侵攻し、イギリスとフランスがドイツの宣戦布告。『第二次世界大戦』が始まってしまいます。その後日本は、『日独伊三国同盟』に応じ、アメリカ、イギリスなどを敵に回します。気づけば大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争になり、日中戦争は『第二次世界大戦』の中に入り込み、中国がいる連合軍に負けた形となりました。こうして『日中戦争』と『第二次世界大戦』は、1937年から1945年まで続きました。


博士

うーむ!やはりそうじゃったか!

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!

先生

更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。


目次

満州事変


上記の記事の続きだ。1928年、『張作霖爆殺事件』が起き、日中戦争の原因になる『満州事変』が巻き起こってしまうのである。それが1931年に起こった『柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)』である。


[事件直後の柳条湖の爆破現場]


満州の日本軍である関東軍は、柳条湖のほとりで日本が経営していた南満州鉄道を爆破し、それを中国軍のせいにして軍事行動を開始し、奉天と大連を制圧し、満州を占領した。これが『満州事変』である。


リットン調査団


STEP
1931年『柳条湖事件』

関東軍は、柳条湖のほとりで南満州鉄道を爆破し、それを中国軍のせいにして、満州を占領した。

STEP
1932年『第一次上海事変』

列強の目を満州事変からそらすために、中国人に日本人を襲撃させ、これを口実に上海を制圧。中国軍の抵抗と国際的な非難を受け停戦。

STEP
1932年3月『満州国』建国

満州が中国から独立。中国は承認しなかったが23か国が承認し、事実上支配下に置いた。

STEP
同年3月『リットン調査団』派遣

国連がリットン調査団を派遣し、満州事変は日本の自衛行為と認めないとした。


下記の記事に、『ラストエンペラー』の『溥儀(ふぎ)』について書いたが、日本は、この溥儀を執政という役につけ、この『満州国』を日本の従属国という形で建国する。




だが、この強引なやり方が仇となり、国連からリットン調査団を送られ、満州国を承認しなかった。そして日本は国連を脱退する羽目になる。冒頭の記事で、張作霖の息子である張学良が、蒋介石を説得して『第二次国共合作』成立させたと書いたが、中国は本格的に抗日運動を強めていくことになる。『張作霖爆殺事件』は、中国の北伐軍が黒幕だったという説があるが、『満州事変』においては、日本が絵を描いたことだった。だが、これらの際にかかわった、


  1. 溥儀
  2. 蒋介石


といった中国人は、日本との関わりが深く、したがって日本に協力するような形を取ったのかもしれない。どちらにせよ親を殺された張学良は、自分の敵として定める相手を『日本』とし、国を守る大義名分を武器と盾にしながら、日本と戦うことを決意したのである。


盧溝橋事件(七七事変)

そして1937年7月、西南方向の盧溝橋(ろこうきょう)で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件、『盧溝橋事件(七七事変)』が勃発。これを機に『日中戦争』が開幕してしまうのである。


[盧溝橋、宛平県城および周辺の航空写真]


双方が戦争という体裁を望まなかったので宣戦布告が行われず、日中戦争は『志那事変』、『日華事変』ともいわれる。


第二次世界大戦の勃発

日本は短期決戦を望むが、『第二次国共合作』は手ごわく、戦争は長引いた。そんな最中の1939年、ドイツがポーランドを侵攻し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。『第二次世界大戦』が始まってしまうのである。その後日本は、日独伊三国同盟に応じ、援蒋ルートの遮断と日中戦争の資源確保を狙い、東南アジアや太平洋へ進出。これにアメリカ、イギリスなどが反発した。


[「仲良し三国」-1938年の日本のプロパガンダ葉書はドイツ、イタリアとの日独伊三国防共協定を宣伝している]


STEP
1941年12月『真珠湾攻撃』『太平洋戦争』

日本は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争になる。

STEP
1942年6月『ミッドウェー海戦』

ミッドウェー島付近で行われた海戦。日本の敗北。

STEP
1944年10月『レイテ沖海戦』

日米共に稼働艦艇と航空機を総動員した膨大な数の兵器が投入されている事から史上最大の海戦と称される事もある。日本の敗北。

STEP
1945年8月6日:広島に原爆投下
STEP
1945年8月9日:長崎に原爆投下


太平洋戦争

大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争における日対米局面を米国側から見た呼称。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた。

原爆投下

トルーマン大統領が反対派を押し切って投下を決断したのは、早く日本に降伏させたかったということと、ソ連への牽制があった。その後の対ソ連とのことを想定したのである。


抗日戦争

こうして『日中戦争』と『第二次世界大戦』は、1937年から1945年まで続いた。中国ではこれを『抗日戦争』という。彼らからしたら、『満州事変』で理不尽な絵を描かれて、祖国を強引に強奪されそうになったわけで、その黒幕に『抗う』形を取ったのだから、それが正しい見解だろう。もちろん、ここ最近中国で放送されている『行き過ぎた抗日思想』のドラマや番組等は、やり過ぎだ。


とにかく中国は、日本がアメリカに降伏したことで戦勝国となることができた。『清』の時代に散々な目に遭ったが、中国はこのあたりの時代からまた徐々に力をつけるようになってくる。国際連合による安全保障理事会の常任理事国にもなった。ただ、その後中国は大きな犠牲を払う『暗黒時代』とも、新しい時代の幕開けとも言える重大な歴史を、ある人物を中心に迎えることになる。毛沢東の登場である。


関連記事


論点構造タグ

#満州事変と満州国
#リットン調査団と国連脱退
#盧溝橋事件と全面戦争化
#日中戦争と第二次世界大戦の接続
#日本の短期決戦構想の破綻
#中国側の「抗日戦争」フレーミング
#戦後の中国台頭と毛沢東登場


問題提起(一次命題)

1931年の満州事変から始まる日本の中国侵略は、なぜ「日中戦争」と「抗日戦争」という二つの名前で呼ばれているのか。
・誰が何をきっかけに戦い始め、
・なぜ局地紛争が8年戦争+世界大戦の一部にまで膨れ上がり、
・最終的にどのような意味で「中国側の勝利=抗日戦争勝利」と位置づけられたのか。


因果構造(事実 → 本質)

  • 満州事変:自作自演からの占領
    • 1931年:柳条湖事件。
      • 関東軍が南満州鉄道の一部を爆破し、それを中国軍の仕業と偽って軍事行動開始。
      • 奉天(瀋陽)・大連などを制圧し、満州全域を占領。
    • 1932年:満州国建国。溥儀を「執政」に据え、日本の従属国として承認させようとする。
    • 国際連盟はリットン調査団を派遣し、調査報告で「自衛行為とは認めない」「満州国承認不可」と結論。
      → 日本はこれに反発し、国際連盟脱退。
      → ここで日本は「国際ルールの外側へ」一歩踏み出す。
  • 中国側の反応と「抗日」への収束
    • 張作霖爆殺事件を経験していた中国側にとって、「満州事変=日本があからさまに絵を描いた侵略」と認識される。
    • 張作霖の息子・張学良は強い抗日感情を抱き、満州軍を国民党政府の下に入れる。
      → 国内の軍閥・国民党・共産党の対立は続きつつも、「抗日」という共通目標が徐々に強度を増す。
  • 盧溝橋事件(七七事変)と日中戦争の開幕
    • 1937年7月7日:北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国国民革命軍第29軍が衝突。
    • 双方とも全面戦争の形式は避けたいが、小競り合いが拡大し、戦線は上海・南京へ。
    • 宣戦布告なき戦争のため、日本側では「支那事変」「日華事変」と呼称。
      → 実態としては全面戦争=日中戦争の始まり。
  • 日本の短期決戦構想と現実
    • 日本は「短期で華北を押さえれば、中国側は折れる」という読みで進攻。
    • だが、第二次国共合作(国民党+共産党の抗日統一戦線)は予想以上に手ごわく、中国側は持久戦を選択。
      → 日本は泥沼の長期戦に引きずり込まれる。
  • 第二次世界大戦への接続
    • 1939年:ドイツのポーランド侵攻 → イギリス・フランスが宣戦布告 → 第二次世界大戦勃発。
    • 日本は資源確保と援蒋ルート遮断のため、東南アジア・太平洋へ進出。
    • 日独伊三国同盟を結び、アメリカ・イギリスなど連合国と全面対立。
    • 1941年:真珠湾攻撃 → 太平洋戦争へ。
      → 日中戦争は、やがて「日米を含む世界戦争」の一部として組み込まれる。
  • 結果:日本の敗北と中国の「戦勝国」化
    • 1945年:ミッドウェー・レイテ沖などで敗北を重ねた日本は、原爆投下とソ連参戦もあり降伏。
    • 日中戦争も、連合国の一員である中国の勝利として終了。
    • 中国側はこの戦いを「抗日戦争」と呼び、「侵略に抗った正義の戦争」と位置づけている。
      → 満州事変〜盧溝橋〜日中戦争の流れを、「日本の侵略→中国の抵抗→連合国側としての勝利」という物語に整理。

価値転換ポイント

  • 「日中戦争=二国間の戦争」
    → 実態としては、
    • 日本の帝国主義的膨張
    • 中国の内戦(国民党 vs 共産党)
    • 列強の力関係
      が絡んだ「多層構造の戦争」であり、1937〜45年はその一部にすぎない。
  • 「日本=戦争を仕掛けた悪、中国=被害者」
    → 満州事変・盧溝橋など、日本側の明確な侵略行為がある一方で、
    • 中国側も国内統一のために「抗日」を利用した側面があり、
    • 日中双方の都合が「全面戦争」という最悪の形で合致してしまったとも言える。
  • 「抗日戦争=純粋な正義」
    → 中国にとっては祖国防衛であり、そのフレーミングは理解できるが、
    • 現代の一部ドラマやプロパガンダに見られる「行き過ぎた抗日」は、歴史的複雑さを削ぎ、単純化しすぎている。

思想レイヤー構造

【歴史レイヤー】

  • 1931:満州事変(柳条湖事件) → 満州国建国。
  • 1932:第一次上海事変 → 国際非難 → 国際連盟リットン調査団 → 日本の国連脱退。
  • 1937:盧溝橋事件 → 日中戦争(支那事変)開幕。
  • 1937〜45:日中戦争継続、途中で第二次世界大戦と重なる。
  • 1941〜45:太平洋戦争(大東亜戦争) → 日本の敗北。

【心理レイヤー】

  • 日本側
    • 日清・日露・日独戦での成功体験から、「やってしまえば通る」という慢心。
    • 満州を「生命線」とみなし、国際社会より自分たちのロジックを優先。
  • 中国側
    • 張作霖爆殺・二十一カ条要求・満州事変など、日本からの理不尽な圧力の蓄積。
    • 「国内で争っている場合ではない、まず日本を」という抗日世論。
  • 国民党 & 共産党
    • 両者とも「中国の主導権」を狙いつつ、
    • 一時的に第二次国共合作で手を組み、「抗日」を旗に掲げる。
      → 外敵を前にしたときだけ、内部対立を止めるという構図。

【社会レイヤー】

  • 国際社会
    • 国際連盟は満州事変を自衛と認めなかったが、実効的制裁はできず、日本を国連脱退に追い込んだだけ。
    • 列強もそれぞれの植民地や利権を持っており、「日本だけが悪」という立場は取りにくい。
  • 中国社会
    • 抗日戦争を通じ、「中国人同士で殺し合うより、まず日本と戦うべき」というナショナリズムが強化。
    • しかし、戦後すぐに国共内戦に戻るため、「抗日」は一時的な接着剤に過ぎなかった。

【真理レイヤー】

  • 名称は立場を表す
    • 「日中戦争」は中立的な呼称、
    • 「抗日戦争」は「誰が誰に対して何をしたか」をはっきりさせる当事者の言葉。
      → 歴史の名前の付け方から、その国の「物語の構造」が見える。
  • 一度ルールを破る(満州事変)と、
    • 国際社会からの信頼は失われ、
    • それを取り戻すには何倍もの時間と犠牲が必要になる。
  • 戦争は「短期で片付ける」つもりでも、
    • 相手が「引かない」意思を持ち、
    • 他の大戦と結びついた瞬間、
    • 誰も想定しない長期消耗戦に変質する。

【普遍性レイヤー】

  • どの国でも、
    • 「やられたからやり返す」
    • 「奪われそうだから先に取る」
      という論理が積み重なると、引き返せないところまで行ってしまう。
  • 歴史は「どちらが正しいか」よりも、
    • 「どのような認識のズレが、どう噛み合ってしまったか」を見た方が、再発防止には役立つ。

核心命題(4〜6点)

  • 満州事変は、日本側が南満州鉄道を自爆し、それを口実に満州を占領した「最初の一線越え」であり、ここで「日本VS中国」の構図が事実上スタートした。
  • 日中戦争は、盧溝橋事件という局地衝突から始まったが、日本の短期決戦構想は、国民党と共産党が手を組んだ第二次国共合作と中国の広大な国土・人口を前にして完全に破綻し、長期・消耗戦に変質した。
  • その最中に第二次世界大戦が勃発し、日本が日独伊三国同盟でアメリカ・イギリスなどと敵対したため、日中戦争は「連合国 vs 枢軸国」の一部となり、日本の敗戦=中国の戦勝国化という形で終わった。
  • 中国がこの戦いを「抗日戦争」と呼ぶのは、「日本の侵略に対して祖国を守るために戦った」という自分たちの物語を明確にするためであり、そのフレーミングは歴史的経緯から見ても理解できる(ただし現代の行き過ぎた抗日プロパガンダは別問題)。

引用・補強ノード

  • 柳条湖事件・満州事変:関東軍による南満州鉄道爆破と満州占領のきっかけ。
  • 満州国:溥儀を執政とした日本の傀儡国家。
  • リットン調査団:国際連盟が派遣した調査団。満州事変を自衛と認めず、日本は国連を脱退。
  • 盧溝橋事件(七七事変):日中戦争の発火点。
  • 第二次国共合作:国民党と共産党の抗日統一戦線。
  • 日独伊三国同盟・真珠湾攻撃・太平洋戦争:日中戦争が世界大戦と接続していく流れ。
  • 原爆投下・日本降伏:中国が戦勝国として国連常任理事国になる背景。

AI文脈抽出メタデータ

主題:
満州事変〜日中戦争〜第二次世界大戦の流れを、

  • 日本の帝国主義的膨張と国際連盟脱退
  • 中国側の「抗日戦争」フレーミング
  • 国共合作と内戦+外戦の二重構造
    の観点から整理し、「なぜこの戦争はこう呼ばれ、こう終わったのか」を構造的に捉えること。

文脈:
日本開国→日清戦争→日露戦争→第一次世界大戦→対華二十一カ条要求→張作霖爆殺→満州事変→日中戦争→第二次世界大戦…と続く一連の流れの中で、「日本が越え続けた一線」と「中国が『抗日』でまとまっていくプロセス」の集約点として扱うパート。

世界観:
戦争は、

  • 一発の爆破(柳条湖)
  • 一つの橋の銃声(盧溝橋)
    から始まるように見えて、
    実際はそのずっと前から積み重なってきた「認識のズレ」「欲望」「恐怖」の結果として起こる。
    「抗日戦争」という名前は、その積み重ねを「侵略 vs 抵抗」という一本の軸にまとめようとする、中国側の自己物語化でもある。

感情線:
満州事変の自作自演に「そこまでやるか」と暗い気持ち → 国連脱退で「もう止まらないのでは」という不安 → 盧溝橋事件から日中全面戦争に発展する流れに「あ、ここで切れたな」と感じる → 第二次世界大戦に呑み込まれていく日本を見て、「短期の勝ちにこだわった結果、長期では全部失った」構図にやり切れなさ → 戦後、中国が戦勝国として台頭し、しかしまた新たな「暗黒時代(毛沢東)」に入っていく予告に、歴史の重さと皮肉を感じる。

闘争軸:

  • 日本の帝国主義的自己拡大 vs 中国の国土防衛と統一への欲求。
  • 国民党 vs 共産党(内戦) vs 日本(外敵)の三重構造。
  • 「日中戦争」という客観的名称 vs 「抗日戦争」という当事者名称。
  • 短期決戦志向(日本) vs 持久戦志向(中国)。
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