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曾野綾子『どんなにその人を愛していても、その人のためにすべてを犠牲にしてはならない。なぜなら、必ず後で、その人を憎むようになるからだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

『恋』は奪うもの。『愛』は与えるもの。だとすると、『犠牲にする』という文字は、どこにも入っていない。『犠牲にしている』と思っている時点で、どこかナルシストでありエゴイストである。相手を愛したのだから、それは犠牲ではなく、与えたのであり、そこに押しつけがましい自意識などない。『アンパンマン』はどうだろうか。彼が押しつけがましく愛を与えているだろうか

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いや、喜んでやっている。マザー・テレサが『死を待つ人々の家』を開設したのもそうだ。そう考えるとこの言葉の奥が更に深くなる。

(犠牲、代償、我慢、忍耐…)

よく結婚は、それらがつきものだという人が多い。おしどり夫婦の秘訣として謳われることも多いし、それを言う夫婦が実際に仲がいいことも多い。だがどうだろう。最後に『憎む』のであれば、それは『認められなかった』わけであり、だとしたらそれは『エゴ』だ。自分がその相手を、相手の行為を認められないということは、『我』である。その『我』を忘れさせるのが、『愛する人』なのである。

愛する

しかし、『ここで言われている人』が『全てを犠牲にする』という名目で尽くすとなると、おそらく曾根綾子の言う通りの結末になるだろう。

例えばアンパンマンは、自分の身体、全てを相手に与えるだろうか。あるいは、与えるのは一部だろうか。答えは『一部』だ。なぜなら全てを与えることは、『死』を意味する。『ここで言われている人』は、『生きて、愛したい』のだ。『生きているから、愛し合える』と考えるのだ。

だから、『そこまでやるとなると、私は死ぬが、それでいいのか?』と自問し、あるいは反問し、『それでも私に尽くせ』というのであれば、それは愛すべき対象ではない我々は『生きて、愛したい』のだ。そもそものその我が儘から、目を逸らしてはならない。最初から『恋する』も『愛する』も、我が儘なのである。

だがもし自分が、(いや、それでも愛すべき対象だ)と言って、命を投げ打ってまで相手に尽くすのであれば、そこに『後悔』や『憎悪の念』は残るだろうか。いや、残らない。なぜならそこには『真実の愛』があるからだ。つまり曾根綾子の言葉は矛盾している。『愛』とは本来、そのように『全てを捧げる』ものである。しかし、この言葉は『それはダメだ。後で憎むことになる。』と言っている。

つまり『ここで言われている人』のことを解釈すると、こういうことになる。

『どうせ全てを捧げるって言っても、あなたたちは自分のことが可愛いでしょ。人間の愛なんて、その程度。皆そういうものなのよ。最後には憎んでしまう、愚かな生き物なのよ。だからほどほどにしておきなさい。後で憎悪の種に蝕まれたくなければね。』

憎悪

さあ、どうする。私ならこの『人間の可能性への揶揄』に対して、反抗する。確かに私は、マテオによる福音書の超訳として、

という記事は書いた。だが同じくイザヤの書の超訳として、

とも書いた。真実の愛なら、真理、神と並んで、『無常』ではないはずだ。真実の愛なら、たとえ裏切られても、相手を憎むことはないはずだ。なぜなら『愛』は、与えるものである。『奪われた』と思っているなら、それは愛ではないのだ。

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補助的分析(AIによる語彙・背景・正確性の中立整理)

※本節では、運営者の内省(言葉だけを見て内省した解釈)ではなく、AI(ChatGPT)による「中立性」と「正確性」を基準に、今回の名言を整理します。名言の多くが出典未確認である現実を踏まえつつ、語彙・背景・意味領域を客観的に位置づけます。

名言提示(再掲)

曾野綾子
『どんなにその人を愛していても、その人のためにすべてを犠牲にしてはならない。なぜなら、必ず後で、その人を憎むようになるからだ。』


一般的な解釈

この言葉は、「愛と自己喪失は同義ではなく、過剰な自己犠牲は関係の破綻を内包する」という趣旨を示しています。
曾野綾子は、戦後日本における家族観・献身観・道徳観が強く作用する社会状況の中で、個人の自立と責任を重視する思想的立場から、この言葉を発しました。
この発言は、無条件の献身を美徳とする価値観と、持続可能な人間関係を成立させるための自己保存との対立軸を明確にするものとして捉えられます。


思考補助・内省喚起

この名言は、「あなたは愛の名の下に、どこまで自分を差し出しているのか」という問いを与えます。
私たちは日常の選択や対人関係において、相手のためという理由で、自らの境界線を見失っていないでしょうか。
感情や道徳的通念に流されず、愛と依存、献身と自己否定の違いを見極めるための内省の起点となり得ます。


翻訳注意・文化的留意点

文化的背景:
日本社会に根強い「自己犠牲=美徳」という価値観を前提としており、西洋的な個人主義的愛情観とは緊張関係を持ちます。

語彙の多義性:
「犠牲」は、物理的・経済的損失だけでなく、人格・時間・可能性の放棄を含意します。
「憎む」は強い敵意に限らず、失望・恨み・関係疲弊の累積を指します。

構文再構築:
原文の因果構文は、日本語では断定的に響きますが、心理的必然性を示す警告文として理解されます。
たとえば「必ず後で憎む」は、「歪んだ感情として反転する危険が高い」と再構成する解釈も考えられます。


出典・原典情報

※出典未確認
この言葉は随筆・講演等で引用されることが多く、一次資料の厳密な特定には留意が必要です。


異訳・類似表現

異訳例:
「愛しているからといって、すべてを差し出してはいけない。」
「自己を失う愛は、やがて憎しみに変わる。」

思想的近似例(日本語):
「身を削る愛は、長くは続かない。」── ※出典未確認

思想的近似例(英語):
“Love that erases the self turns into resentment.” ── ※出典未確認


タグ(思想分類)

#愛と自立 #自己犠牲 #人間関係 #戦後思想 #心理構造 #境界線 #因果構文


語義分解(主要キーワード)

用語 定義 補足
相手を尊重し関係を保とうとする感情 自己否定とは異なる
犠牲 自己の価値・選択を放棄すること 過剰化すると歪みを生む
憎む 反転した否定的感情 失望や疲弊を含む

位置づけ構文(思想国家における構文的機能)

この名言は、「愛には限界と自己保存が必要である」という価値観の再定義を含んでいます。
構文としては、「因果対比構文」「警告型転換構文」「価値主張構文」に分類され、思想国家内部の〈倫理〉〈判断〉〈責任〉の構造群と連動可能な核を持ちます。


感受対象(思想UX設計における対象読者)

献身的関係に疑問を抱く読者層
対人関係で疲弊している読者層
愛と責任の構造を理論的に理解したい層


この言葉を更に5つの視点から再考する

※将来的に判断軸・時間軸・倫理軸・定義軸・結果軸に分岐する予定。
ここでは親記事として導線のみを提示する。

➡ 『どんなにその人を愛していても、その人のためにすべてを犠牲にしてはならない。』をさらに深めて読む
(ここに静的HTMLリンクを手動で貼る)

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