偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/レディーアイコン4.png” from=”right”]アメリカの教育者 ヘレン・ケラー(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/シャーロックホームズアイコン2.png”]ふむ…。[/say]
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考察
例えば、自分の私利私欲が疼いて、目の前のスイーツをかっくらう。そうすると当然、脳内にはドーパミンが分泌し、多幸感を覚え、刹那の快楽に酔いしれることになる。しかし、それは『=幸福』という図式と考えるのは、短絡的であるということだ。スイーツくらいならまだわからないだろうが、ではその考え方で、違うシーンを考えてみる。『強姦』である。男も女も性欲が旺盛なのは健康的だが、男にはそれに加えて『力』が備わっていて、兼ねてから女は、その対象としてぞんざいな扱いを受けて来た。
風俗店も、アダルトビデオも、往々にして男向けだ。それを考えただけで見えて来るものがあるはずである。そんな『男』が、『力』と『性欲』を暴走させてしまった延長線上に、それがある。だが、冒頭で挙げた短絡的な考え方の図式が通用するのであれば、彼らに罪はないはずだ。彼らはただ、幸福を追い求めただけなのである。
これでヘレン・ケラーの言葉は裏打ちされた。そうした短絡的な解釈は、決して正しい見解ではないということだ。では、なにが幸福なのかということについてだが、それこそが、『価値ある目標に忠実であることによって得られる実感』なのである。自分が今やっていることに対する、見返りがどうも少ない気がした。しかし、自分は見返りを期待してやっているわけではなかった。むしろ、そこに見返りがあるのなら、自分のやっていることは真の貢献ではなかった。
周りの評価や、得られる報酬がどうであろうと、自分の心が断固としてそれに納得している。こんな時、人間の心は清らかな充足感に満たされ、真の幸福を得られるのだ。
ドストエフスキーは言った。
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