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インダス文明とドラビダ人。『カースト制度』の負を産み付けたアーリア人。

メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明


ハニワくん

先生、質問があるんですけど。

先生

では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。


『インダス文明』を作ったのは誰?わかりやすく簡潔に教えて!

紀元前2500年頃に『ドラビダ人』がインダス川の近くで作りました。


ハニワくん

なるへそ!

博士

も、もっと詳しく教えてくだされ!


インダス川の下流にあったシンド地方が『インド』の語源となりました。

インダス文明は世界四大文明の中でも最も新しい文明です。インダス文明は、メソポタミアやエジプトをしのぐ規模の都市があり、インダス文字などもまだ解明されていません。エジプトのピラミッド同様、まだまだこれから新しい事実が発見される可能性が高いと期待されています。

しかし、インダス文明を作ったドラビダ人の後、1000年後ほどに現れた『アーリア人』は、彼らを制圧し、奴隷として扱います。それがこのインドの地に今も尚続く『最悪の負の連鎖』である『カースト制度』の原因となってしまいます。このせいで何もしていない子供が無残に殺され、捨てられるというようなあまりにも残虐な事件がインドで頻発してしまっているのです。


博士

うーむ!やはりそうじゃったか!

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!

先生

更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。


目次

インダス文明


上記の記事の続きだ。メソポタミア文明、エジプト文明にあった歴史について見てきたが、今度は『インダス文明』である。


メソポタミア文明紀元前6000~
エジプト文明紀元前4000~
インダス文明紀元前2500~
中国文明紀元前14000~


インダス文明というのはそれら2つの文明よりは2000年ほど新しい。今からおよそ4600年ほど前に、インド北西部、インダス川沿いに広がった文明のことである。


インダス川の下流にあったシンド地方が『インド』の語源となった。


インダス文明は、メソポタミアやエジプトをしのぐ規模の都市があり、インダス文字などもまだ解明されていない。エジプトのピラミッド同様、まだまだこれから新しい事実が発見される可能性が高いと期待されている。


ドラビダ人とアーリア人

インダス文明を作ったのは『ドラビダ人』だ。インダス文明とインドの歴史を考えるには、以下の記事と合わせて見ることが必要だ。


STEP
紀元前2500年頃

インダス文明とともに民間宗教が生まれる。

STEP
紀元前1500年頃

アーリア人が入ってきて、ヴェーダ教と融合。

STEP
インダスの在来宗教と融合

南部インドのドラビダ教とも融合。

STEP
紀元前1000年頃バラモン教が誕生
STEP
後にヒンズー教が誕生する



『ヒンズー教』である。まず、紀元前2500年頃にドラビダ人がインダス川沿いにインダス文明を築く。それから1000年後(とてつもない時間だ)、アーリア人が流入する。そしてそこから500年後(紀元前1000年頃)に、ガンジス川域に移動して国家を築く。


[19世紀に再現されたエラトステネスの世界地図。ペルシア湾の右に ARIANA とある]


英語で借用されたアーリア人 Aryan(古くはArianとも)の語源は、サンスクリット語の「アーリヤ (ārya)」とされる。古代イランのアヴェスター語にはairyaがあり、いずれも「高貴な」という意味で、他民族より「高貴な」民族と考えたアーリア人が自称した。また、インド・イラン祖語の*arya-か*aryo-に由来する。古代ギリシア人のストラボンやエラトステネスがトロス山脈から東はインダス川までをアリアナ地方 (Ariana)と記録しており、その頃には地中海東部地域でも既知の民族名だったと言える。Wikipedia


彼らが信仰していた宗教は『ヴェーダ教』である。これが、ドラビダ人が信仰していた『ドラビダ教』と融合し、『バラモン教』になる。そのバラモン教のときに、カースト制度の元になる『ヴァルナ制』ができ、それがのちの『ヒンズー教』に大きく影響するわけだ。この辺りのキーワードとともに、上記の記事でこの地域の宗教事情を考えてみよう。


カースト制度とガンジー

更に厳密に言うとヒンズー教は、


  1. ウパニシャッド哲学
  2. 仏教
  3. ジャイナ教
  4. バラモン教


という様々な要素が融合して成立した、インドの『総合宗教』のようなものである。彼らインド人の間でいまだに根強くこの信仰が蔓延しているのは、ヒンズー教がインド人としてのアイデンティティ(身分証明)そのものだからである。あのガンジーも、『カースト制度そのものはヒンドゥー教の根本的な制度として認めていた』という意見もある。その文献によればガンジーにとってカースト制度は『分離されているが平等』なのである。


このような『カースト制度は容認しても、カーストによる社会的差別に反対する』という考え方は当時はよく見られたようだ。結果として差別をなくそうとしたことは事実なので、ガンジーに『カースト制度を否定した人間』という印象がついたのかもしれない。



最初にインドに住んでいて、征服された人々(ドラビダ人)は、『奴隷(シュードラ)』の扱いとなった。そして、新しく入ってきて支配し、カースト制度を導入したアーリア人は、カースト(階級)の上位に組み込まれた。インドを考える際に切っても切り離せないキーワードが、この『アーリア人』なのである。


当時を知る手掛かりとなったのは、アーリア人の残した『リグ・ヴェーダ』と呼ばれる神々の賛歌集である。この『歌詞集』のおかげで、当時のことを分析することができたのだ。



また、このバラモン教、カースト制度、インドというキーワードに対して重要な人物は『ブッダ(釈迦)』である。それについては下記のページに詳しく書いたので、併せて確認していただきたい。



ブッダが広めた仏教や、ウパニシャッド哲学、ジャイナ教というのは、バラモン教に逆らうような形で現れた考え方である。それは、キリスト教のカトリックと、それに逆らう形で生まれた様々な宗派とよく似ているかもしれない。



また、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神を信仰するが、それぞれで考え方が違う。こうして考えると、人間がいる分だけ考え方があり、その分だけ新しい宗派が生まれる、という客観視ができる。


真理は一つなはずなのに、人間がその『解釈』を間違える。ニーチェは言った。


今回は関連記事が多かったため、このボリュームでまとめられる。これが、紀元前2500年頃から紀元前500年頃までの、インダス文明からのインドの歴史である。


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