偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
[adrotate banner=”6″]
目次
考察
『道を踏み外して、その後更生した人よりも、もともと道を踏み外すようなことをしなかった人の方がえらいに決まっています。でも残念なことに、そういう人には日常ほとんどスポットが当てられません。学校でも同じです。そして、それが毎日まじめに生活している人に自己の存在価値への疑問を抱かせ、時として、マイナスの思考へと向かわせていく原因になっているのではないでしょうか。』
by『告白』
いや、人としての『偉さ』というものは、そのような考え方では決まらない。例えば実際に、物心がついたときには、実の兄が警察にショットガンを口に突っ込まれ、あるいは知らぬ間に犯罪の片棒を担いでいた、ということがあるのだ。そういう人間は当然、『道を踏み外した』ことになる。しかし、そこに『意識』はないのだ。そして、自我が成長し、『意志』を得て、自分がやっていることの善悪について考えられるようになり、規範意識が磨かれ、自分の生きるべき道を再考し、人生を更生することを決意した。
だとしたら、そこにいる人間は、『偉い』。とても偉い。
ルソーは言った。
[adrotate banner=”7″]
関連する『黄金律』
あわせて読みたい


『失敗をすぐに認められるか、それとも隠蔽するかで人間の価値は決まる。』
第24の黄金律 『失敗をすぐに認められるか、それとも隠蔽するかで人間の価値は決まる。』 自分のミスや失敗を隠したくなる気持ちはわかる。わかるが、『子供』も...
あわせて読みたい


『失敗したと思っても絶対に諦めるな。そもそもそれは、「失敗」ではない。』
第37の黄金律 『失敗したと思っても絶対に諦めるな。そもそもそれは、「失敗」ではない。』 金鉱で金を掘り当てることが出来る人間は、『最後』まで掘るのを止め...