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魯迅『人々が寂寥を感じたとき、創作がうまれる。空漠を感じては創作はうまれない。愛するものがもう何もないからだ。所詮、創作は愛にもとづく。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]中国思想家 魯迅画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

寂寥(せきりょう)とは、心が満ち足りない様子。空漠(くうばく)とは、漠然として捉えられない様子。人間の心が寂寥となるから、その渇いたスポンジに水分が吸収されるわけで、それが枯渇してなければ、そこに突き入る隙間はない。自分の心が寛容、あるいは空虚であり、まるで大洋の様に広漠としているならば、もう、そこには欲するものなど何もない。

 

図で見れば一発だ。

 

 

左のメーターはとても満ち足りているが、右のメーターは枯渇している。だとしたら、『欲する』のは右だ。そして、エネルギーが捻出されるのも、右だ。創作とは、エネルギーである。無から有を生み出す、人間の矜持である。何しろ、別にそんなことしなくてもいいのだ。しなくても生きていけるのである。しかし、自分の心が寂寥であると叫ぶ人間の魂は、エネルギーを捻出(創作)するし、人も愛する。それはまるで、『意地』だ。この儚い運命に生まれた『意味』のない人生を、何とかして『意義』のある人生にしようとする、人間の『意志』だ。

 

 

 

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