偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]フランスの作家 ロマン・ロラン(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
つまり別に、恋愛に『快楽』を求めていないなら結構だ。重荷になるのも当然。その人の分まで背負って生きていきたいという『真面目さ』は、私には真実の愛の姿にも見える。
だが次の話を聞いてどう思うかだ。よく、『恋は盲目』とか、『恋をしたらあの子は”こう(視野が狭くなるジェスチャーを入れて)”だから』と聞くだろう。権威ある脳科学者が非常に興味深いことを言うのだ。
『ヘロインをやっているときと、恋をしているときの脳の状態が、瓜二つなんです。』
実は、『恋は盲目』という言葉は、本当なのである。恋をするとき、脳内の『テグメンタ』という部分が活性化していて、実は、これがヘロインを使用しているときの脳の状態と酷似しているというのだ。
『真面目になる→快楽が消える→重荷が出る』
これはある種、本当に相手を好きになった証拠なのではないだろうか。
トルストイはこう言い、
あるいはこうも言った。
『快楽を得られない』ということは、そこにいるのは没我的な人だ。自分の私利私欲を優先させないからそういうことになるのだ。
『少しのきまじめさは恋愛においては結構だ。しかしあまり真面目すぎては困る。それは重荷であり、快楽でなくなる。』
だがこの話は『恋愛』である。恋愛というのは、まだ恋が『愛』に変わる前の段階で、お互いが自分の欲を満たしたいと願う、ある種まがまがしい人間の欲望が渦巻く、トランス状態である。
リヒテンベルクがこう言ったように、
そのトランス状態で人間は急接近し、結婚する。そしてその後冷静になって、我を取り戻すのだ。その時に本当の『愛』が問われる。その人を愛していれば、その人が老いても、病んでも、ともに連れ添って生きることができる。だが『快楽』などという次元の話をするなら、それは恋愛の話だ。ロマン・ロランの言う通りである。快楽を得たい恋愛に、あまり真面目さはいらない。
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