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李牧『匈奴が攻めてきても、けっして戦ってはならぬ。すぐ城内に逃げ込むがよい。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]中国軍師 李牧[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

中国文学の第一人者である守屋洋氏の『孫子の兵法』にはこうある。

中国の戦国時代末期、趙の国に李牧という名将がいた。当時、中国の北方に匈奴(きょうど)という異民族が勢力を張り、しきりに北辺を荒らしまわっていたが、趙の国王は、なんとか匈奴の侵攻を押さえようと、李牧を討伐軍の司令官に任命した。ところが李牧は守りを固めるばかりで、いっこうに討って出ない。毎日、騎射の訓練に励む一方、烽火(のろし)を整備し、間諜を放って匈奴の動きを伺いながら、部下には、

『匈奴が攻めてきても、けっして戦ってはならぬ。すぐ城内に逃げ込むがよい。』

 

と指示した。この結果、たびたび匈奴の侵攻を許しはしたものの、趙側の損害はめっきり少なくなった。

 

こうして数年経った。相手が逃げてばかりいるので、趙軍遅るるに足らずと判断した匈奴は、十万余騎の大軍をもって襲い掛かってきた。間諜の知らせを受けた李牧は、さっそく奇陣を設けて迎撃し、さんざんに撃ち破った以後、李牧が健在のあいだは、さすがの匈奴もあえて趙の辺城には近づこうとしなかったという。

 

趙

 

戦上手は、守りについたときは兵力を隠蔽して敵につけ込む隙を与えない。一字一句軽んじて見逃すことのできない教訓だ。『風林火山』の四文字は、決して『よく聞くワード』として聞き流すものではない。私はこの李牧の『山』たる戦略を、生涯忘れることはないだろう。

 

 

 

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