偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]スイスの心理学者 ユング(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
想像力を補助する為に、地球の画像を見たい。活字も想像力をかきたてるが、画像や映像は、時にそれを遥かに凌駕するイマジネーションをもたらしてくれる。
なるほど。ここで出ているのは『創造、認識、存在、世界、客観視』というキーワードだ。まず考えたいのは『創造』だが、ビッグバンがもし本当にあったとして、そして宇宙があり、太陽や地球を含めた惑星があるわけだが、当然、このような形而下(けいじか。形を持っているもの)であるものは、人間が創り出したものではない。
だが、『認識』ということであれば、それは人間が行うものである。だとすると、『認識することによってこの世界は存在する』ということは、『認識しなければこの世界は存在しない』ということになり、『認識力』を持っていない存在は、この世の実態を把握していないことになる。
例えば、自転車やタンスはどうだ。あれらは、この世が何であるかを認識しているだろうか。いや、していない。だとするとやはり、この世界が、どういうものであり、宇宙の中に地球があって、その中に国があり、という実態を把握したときに初めて、『世界は客観的に存在する』のである。
客観の対義語は、『主観』だ。主観というのは、自分の目で見て、認識しているもの。その逆の客観というのは、自分だけでなく、誰から見ても同じように、認識しているもの。
そう考えると、この世界の実態を把握しているのは、認識が出来る存在だけ。人間は、地球上で言えば群を抜いてその能力に長けた生命体である。だとすれば、少なくともこの星の命運を握っているのは人間だ。大自然や宇宙の流れといった甚大なエネルギーを前にすればもちろん無力だが、
仏教、
のように『宇宙の外は虚無である』と考えてもいいし、
のように『宇宙の外に更に神がいる』と考えてもいいわけで、そんな風にこの世の実態を、自分たちの好きなように認識したり、解釈出来るという事はつまり、この世界が、悪であるか、善であるかを決めることも出来るということを意味する。
ドイツの精神科医、ヤスパースは言った。
我々はこの『意志(無限の可能性)』を、どういう方向に持っていくかを問われ続けて、もう数千年になる。
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