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山本周五郎『どんなに重大だと思うことも、時が経ってみるとそれほどではなくなるものです。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本作家 山本周五郎画像)[/say]

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考察

私は小学生の時、『わたしの宝物』とかそういうタイトルで文章を書けと言われ、当時集めていた『こち亀』の全100巻のコレクションに対して、文章を書いた。私は当時本当にそう思っていたので書いたのだが、周りの生徒たちはもっと違うことを書いていたようで、私は周囲から目を丸くされたような記憶がある。

 

しかし、そこで書くべきだったのがもし『親子愛』とかそういうことなのであれば、私はどの道書くつもりは一切なかった。私の家庭内で起きていたのは、『宗教』が絡んだ複雑な問題だからである。

 

 

つまり、家族の問題に目を向けると、いつもそこには宗教という甚大な規模の壁が立ち塞がっていた。だとすれば、小学生の自分が出来たことは、そこから『目を逸らす』こと。断固として変わりそうにない両親の、

 

キリストへの、

キリスト

 

揺るぎない信仰の前には、そうすることしか選択の余地がなかったのだ。かといって、心が求めていないのに親が強要する信仰に倣うのは、絶対に間違っていると、当時の心おぼろげな頃から、確信を持っていた。

 

さて、当時の私の『宝物』は、今は本棚にはない。そして、かつて強いられた宗教や、それを強要した両親への『殺意』も、今はもうない。なぜなら本当に親の一人である父親は死に、宗教の問題も、随分勉強して、理解が深まった。

 

自分が今、強く固執しているものは、一生の間に絶対に変わらないと思うだろうか。それとも、『時が満ちていない』し、『条件が足りていない』だけなのだろうか。そしてそれが満ち足りれば、状況は変わるのだろうか。そう考えると、頑なに、頑迷に、固執するそれは、愚かな執着という実態なのかもしれない。

 

だが、そこまで考えたうえで私が言いたいのは、それでも、そのエネルギー源は、有効活用することが出来る、というアイディアについてである。

 

 

 

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