偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツの精神科医 ヤスパース(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
私は痛いほどこれをよく理解している。何となく、ではない。『痛いほど』だ。私は、実に29年間の間、両親にクリスチャンであることを強要された。問題は、なぜ29年間も続いたかということだ。その時間の長さが、この話の根の深さを表しているのである。
もちろん、まず物心がついてからすぐに、私は家を飛び出している。それは14歳の頃だ。中学二年生の、厳冬の季節。金などない。二週間だ。凍える様な二月の夜を、無一文で生き延びるのは、過酷だった。だが、家にいるよりはよっぽどマシだった。そこから垣間見えるだろうか。私が強いられていた、精神的抑圧の強さが。
私は非行に走った。いや、全然悪い事をしているつもりはなかったのだ。むしろ、私をそうさせた全ての周りの人間がいけないと考えていた。何しろ私は、最初、何もしていなかったのだから。それを、無理矢理違う色に染めようとして、私の色は染まった。
私は被害者で、加害者は他にいた。だから、もし私が人生を改めるようなことがあるのであれば、それは、道連れだ。周りの人間がまず最初に変わる必要がある。少なくとも、自分よりも年上が最初に変わる必要がある。そう考えていた。しかし、私の両親は断固として自分たちの生きる道を変えようとしなかった。そして、ますますイエス・キリストに対する信仰心を深めていったのだ。
顕著に逆らう、私だけが異端児の様な扱いを受けた。私さえ、言うことを聞けば、後の兄弟も荒波は立てないし、上手くいくと考えていたのだ。まるで、『北風と太陽』だった。
両親を含めた周りの大人が、私を責め立てれば責め立てるほど、私も断固として、服を着込んでいったのだ。
フランスの哲学者、パスカルは言った。
私の話は、このサイトの至る所に書いてあるから割愛しよう。話を一気に核心へと向けよう。『異宗教同士の争い』は?それの『原因』は?『発端』は?その問いに『正確に』答えられない人間は、宗教を語る資格はない。
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