偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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考察
『人間が人間たる意義を求めるならば、まず敬するという心を持つことである。人間が現実にとどまらないで、限りなく高いもの、尊いもの、偉大なるものを求めてゆく、そこに生ずるのが敬という心である。この敬の心が発達してくると、必ず相対的に自分の低い現実を顧みてそれを恥ずる心が起こる。人間が進歩向上する一番大切なことは敬する心を発達させることであり、それによってはじめて恥を知ることができる。』
以前、ヨルタモリでタモリが言っていたのは傾聴に値する話であった。ウイスキーの話をしていたのだが、詳細は覚えていないが、内容はこういうものだった。
『一番いいものをまず知ることだ。そうすれば、何が本物で、何が偽物かということに対する見識がつく。』
本物のウイスキーは、安物の様に、臭みや癖が全くなく、何の滞りも無く、スッと飲めるのだと言う。その話から始まって、そういう話になったのだが、私は、その話のエッセンス(本質)たるものが、極めて重要であると思い、神経を集中させて、聞いていた。
例えば私は、『四聖』に数えられる、孔子、ソクラテス、ブッダ、キリスト。
彼らを人生の師とし、ヤスパース同様、『人間に基準を与えた偉人』として数えている。安岡正篤も、孔子の教えをまとめた『論語』を聖典としていたわけだが、つまり、こと人間に関する知性おいては、彼ら以上の人間はいないのだから、彼らの話を聞けばいいのである。彼らが良しとするものが何であるか、また、彼らが悪しとするものが何であるかを知れば、話は早いのである。そうすることによって、彼らが教えたその『道』から『逸れた』なら、それは、『恥』だと断定できるわけだ。
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もう一つの内省
自分の恥に気が付けなかったり、恥だと思うことがないということは、自分の事が正しいと思い込んでしまっていることになる。今の自分はまだまだ正しい事なんてなく、やらなければならないことが山ほどあると思っていれば、足りない部分を恥だと思い、改善する方向に向かうようにするし、満足することなく上を向いて進み続けるようにしているはずだ。
そして、目標にする人や、前を進んでいる人に対しての考え方も変わり、自分にないもの、足りないものを常に学ばせてもらおうという気持ちを持って接していくようになるはずだ。
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