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マルクス『理論も、大衆を捉えるや否や物理的権力となる。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]プロイセン王国哲学者 マルクス画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

『理論』という『見えない網』が世界に広がっている。それは例えば、『人を殺してはならない』という常識、固定観念、既成概念、マナー、倫理、道徳である。人は、そういう理論に『束縛』されて生きているのである。

 

もちろん、この殺人を束縛だと言うと語弊を招くが、しかしとにかく、こうして『見えない網』、あるいは『見えない鎖』の様なものが広がっていて、それによって『束縛』、あるいは『制限』されていることは、言い方を変えると『支配されている』ということにもなることがわかる。それはつまり、『権力』だ。大衆を捉えられるような突き詰められた理論は、権力を持つのである。

 

併せて考えたいのは、ニーチェのこの言葉だ。

『論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、この虚構を図式化することによって記号化し論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。』

 

 

ここで出てきたのは『論理』。論理とは、(妥当性が保証される形式)という曖昧な概念であって、理論とは、(知識の体系)。ニーチェの言うように、論理は『そう考えられるはず』という人間の推測の域で、それはニーチェ曰く『虚構』なので、別に『権力』にはならない。虚構というような『曖昧なもの』が、足枷にはならない。

 

しかし、理論は『確かに在る観念』なわけで、例えば冒頭に挙げたように、『人を殺してはならない』という間違いなく人間の心に突き刺さっている『確かなもの』だから、それは、(かもしれない)虚構と比べて、確固としていて、確固としていればいるほど、それは『束縛』となり、人間の行動はそれに『制限』される。だとしたら、そこにあるのは『権力』と同じだ。大衆を捉えるほどの確固たる理論は、強い力を持っているということである。

 

 

 

 

 

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