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ボナール『習慣は偽りの友を作る。あたかも機会が偽りの恋人を作るように。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

これには思わず反論したくなるところだが、これが『悪しき習慣』と『悪しき機会』ということだったらどうだろうか。例えば、見栄を張って自分を偽り、その道の上で出会った人間関係は、『悪友』である。あるいは、酔っ払って我を見失い、その中で出会った人間関係は、『一夜限りの関係』である。

 

こう考えると、この言葉はピタリ、合点がいく話である。本物の友と、本物のパートナーを見つけるためには、まず、等身大の自分を、誤魔化さず真剣に生き抜く覚悟を持つことが第一歩である。

 

さて、もう少し別の角度から考えてみる。しかし、『すべての習慣、すべての機会』が、偽りの友や偽りの恋人を作るわけではない。『悪しき』という言葉はどこにもないわけで、だとするとこの解釈では不完全なようにも見受けられる。

 

そうすると、『悪しき』ではない習慣や機会で、偽りの友や恋人ができるというシナリオを考えなければならない。だとすると見えてくるのは、『偶然を奇跡だと思い込む人間の正当化』である。例えば、三日連続で同じ人に会った。その人は、どことなく外見はタイプに近かった。一回目くらいでは心の中で(タイプかも…)と思うだけで終わった。しかし、三日連続で、しかも全て別の場所で会うとなると、これは単なる偶然とは思えない。

 

『運命』かもしれない。『奇跡の出会い』かもしれない。ひょんなことから会話が始まり、二人は急接近。晴れて、付き合うことになった。

 

付き合う

 

『偽りの恋人』、それはつまり、自分が運命の人だと思っている、恋人だと思っている人など、結局は美化、正当化によって自分がそう思い込んだだけの相手であり、真の恋人ではない、ということなのかもしれない。

 

いや、この解釈にも隙がある。だとしたら『すべての恋人は、偽りの恋人だ』としていなければならない。しかしそうはしていない。あくまでも、『すべての習慣、すべての機会が、偽りの友や偽りの恋人を作る』、という理由について考えなければならない。だとしたら、こういう解釈はどうだ。『友人と恋人』を、比喩だと解釈する。

 

例えば、アイルランドの劇作家、バーナード・ショーは言った。

 

つまり、人が習慣を作るのは、その人が『それで居心地がいい』と感じるからである。だとすると、その時人は、その習慣を『一緒にいて居心地のいい友人』のようにとらえているところがある。

 

また、人が機会に出会う時、それはつまり『チャンス』とも言うわけだが、機会やチャンスに直面したとき、まるで『運命の出会いだ!』という風に解釈し、気分が高揚し、報酬系物質のドーパミンが脳内を駆け巡る。それはまるで、恋人にしたい人を見つけたときのような、そういう感覚を覚えることになる。

 

しかし、それはあくまでも『偽りの友人』であり、『偽りの恋人』である。まず実際に、それらは比喩だからゆえ、人間ではないし、そして、それが『真実の習慣』や『最高の機会』であるかどうかは定かではないからだ。だが、人間はそういうことがあると、つい自分の頭に浮かぶ直感、つまりインスピレーションに従ってしまうところがある。思い込みであり、バイアス(先入観)であり、恣意的推論である。これで、ボナールのこの言葉も更に奥が深くなった。しかし、またいずれ違う解釈を書くことになるだろう。

 

 

 

 

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