偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカの作家 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
[adrotate banner=”6″]
考察
『良質』で思い出すのが、『大量生産』だ。もちろんそれらを同時に追い求めることが最善だが、往々にしては、どちらかに傾いていることが多い。
[kanren id=”19513″]
にも書いたが、量を追い求め、あるいは薄利多売的なイメージ幅を広くする。それは必ずしも『良質』と比例するとは限らない。例えば『カラオケで歌う歌』だが、よくカラオケで自分に好きな歌を、好きなだけ歌っていた時期は、人は、あまり私の歌声に興味が無さそうだった。
(お前が好きな歌を歌うなら、俺も好きな歌を歌う)
そもそもカラオケなどそれでいいのかもしれないが、いささか、音楽が好きな私にとってこれらの行為は、『音楽への侮辱』にもつながりかねないと、心底のどこかで、常に葛藤をしていた。
例えば、堂本剛のミュージック映画『平安結祈』では、『音楽の起因』について、考えさせられる。音楽とはもともと、崇高かつ感動的な概念だったのだ。それが今ではどうだ。身近にあることは喜ばしいことだが、挙げたようなカラオケ、着信音、街頭BGM、CM、『量産』されるこれらの音楽に、『崇高さ』を感じることは、ごくごく稀である。
あるとき、私の歌声が、機械も人間も等しく『高く評価』したことがある。何度かあるが、その共通点はどう考えても、『魂が込められているかどうか』ということだった。私はその限られた数回で毎回思った。
(これが音楽の本質なんじゃないかなあ。)
自分の中で『量産』されている音楽への葛藤を紐解く鍵を、その経験の中から垣間見た気がした。あれだけカラオケに行った私がかれこれ6年はマイクを握っていないのも、このことと無関係ではないだろう。
ソローの言う『質に影響を与える技術』。これは、空調を整える技術や、環境保全、空間を彩るエンターテインメント、芸術、人生に感動を与える人間ドラマ、演出、知識、知性、それらすべての技術、情熱、夢、信念がその範囲内だが、確かに言う通り、それは最高の技術だ。私も余生は、『良質』な人生を送りたいと誓っている。
関連リンク:ブルック『!…そうだ どうせ死ぬなら…楽しい方がいい』
『一日の質に影響を与える、それは最高の技術だ。』
また、この言葉を下記の黄金律とともに考えてみる。
[kanren id=”23079″]
一日の質を上げるためには、一歩の価値を高く評価することが必須となる。今日の一歩はたかだか一歩でしかない。だが、だからといってその一歩を軽んじる人間は、いつまで経っても『量質変化』を起こすことはできない。量質変化とは、量が積み重なって質になる変化のことをいう。しかしそれは当然、一歩をぞんざいに扱っている人間には永久に訪れない変化だ。
例えばエジソンは、
と言ったが、彼は言葉通り、『1万通りの方法を試した』のであり、『同じことを1万回やった』のではないのだ。
アインシュタインは言った。
彼らは口を揃える。『適当な一歩をいくら踏み続けたところで、大きな一歩を踏み出すことはいつまでたってもできない』と。『同じ毎日の繰り返し』を『確かな一歩の積み重ね』と考えることができない人間は、偉人の枠から淘汰される。
[adrotate banner=”7″]
関連する『黄金律』
[kanren id=”22706″]
[kanren id=”22732″]
[kanren id=”22746″]
同じ人物の名言一覧
[kanren id=”29508″]