偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカの作家 ヘミングウェイ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
[adrotate banner=”6″]
考察
とかく人間というものは、自分ではないなにかに憧れて、人生を彷徨うことがある。『隣の芝生が青く見える』のだ。こういうアメリカンジョークがある。
21世紀、世界はグローバリゼーションの世の中になった。では、グローバリゼーションとはいったい何のことだろうか。
アメリカの子供の夢がサッカー選手で、イタリアの子供の夢が漫画家で、日本の子供の夢がメジャーリーガーだということ。
『無い物ねだり』なのである。
私の周りにも、自分のことが嫌いすぎて、(そうは言っても自殺未遂すらしたことがないところがいかにも人間だが)あるカリスマ性のある同級生の真似をして眉毛を極細にしたり、あるカリスマ性のある年上のファッションの真似をしてピチピチのTシャツを着たり、あるカリスマ性のあるムードメーカーの口調や口癖の真似をしたり、男のくせに、女の様な仕草をして、それを他人に見せびらかしたりする人間が居た。
感想は正直、『気持ち悪い』の一言だ。だが、彼が真剣に『自分が嫌いだから、変身願望がある』ということなのであれば、こちらは指導者として、真剣に向き合う必要がある。彼らの特徴は、『内部』ではなく、『外部要因』に原因があると考えているところだ。今の自分は嫌いだが、それは自分のせいではない。だから何か新しい『外部要因』によって、自分は変われると思っている。従って、常に目を見張るのは、『外部要因』なのだ。
だから前述したような、『外面(そとづら)』だけのことしか考えない。見る人が見れば、底の浅い、軽薄な、意志のない愚か者にしか見えない。『自分自身(内部要因)』ではなく、『外部要因』のせいにする。そんなことをしても意味がない。
例えばこう考えてみると良い。途上国で、先人たちが自分勝手に遺した地雷で足を失って、それでも健気に、何とか余生を満喫しようと、松葉づえをつきながら自作のサッカーボールを蹴り、与えられた人生を一生懸命生きる人がいたとしたら、どうだろうか。
そんな人はいない?だから、まだ『自分のことが嫌い?』では『検索』をしてみると良い。もう十分だろう。他の何かになりたいなどと。もしあなたが五体満足なのであれば、口が裂けてもそれを言ってはならない。
エマーソンは言った。
『だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為にほかならないという確信に達する時期がある。』
我々は、たった一度の人生を生きているのだ。
[adrotate banner=”7″]
[adrotate banner=”99″]
[say name=”T” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]こんにちは。IQさんの弟子の『T』です。私は師匠ほど前向きな思考を持てない問題を抱えていますが、師匠から『そういう人の葛藤的内省も価値はある』と言われたこと、そして同時に偉人と対話して心の修行をするため、ここに私の内省記事を記載します。[/say]
もう一つの内省
その場の状況に合わせようと、自分の表面を変えようとしたり、その場に合った行動に変えようとしたとしても、次に同じような場面になった時に同じ行動を取ることができるかといったら、同じことができるとは言い切れない。逆に合わせよと意識せずに自分の行動をしたのであれば、それが、善行であっても、悪行であっても同じ行動を取ることになる。善行を繰り返せるのであれば、自分の中にポジティブな意識を積み重ねていけるが、悪行であれば負の感情が積み重なり、生きていくためにはマイナスにしかならない。
どんな行動を取っていくにしろ、その行動に対しての結果は自分の中に積み重なっていくので、負の感情よりもポジティブな感情を積み重ねるような行動を継続させ、前向きに生きていくことが全てにおいていい方向に向かっていくはずだ。
関連する『黄金律』
[kanren id=”22690″]
[kanren id=”22706″]
[kanren id=”22732″]
[kanren id=”22746″]
同じ人物の名言一覧
[kanren id=”29462″]