偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
2014年7月24日。現在、スタジオジブリの宮崎駿の後継者として呼び声高い、米林宏昌監督の作品、『思い出のマーニー』が放映されている。この作品を観て『内観』というキーワードを連想した人間は、極めて少ないだろう。ジブリファンに、まずそういう堅苦しい人は少ない。もちろんいるが、人数は多くない。
つまり、子供だ。スタジオジブリの理念の根幹にあるのは、子供に夢を与えること。宮崎駿自身が、引退会見で言っていたことだ。
『この世は生きていくに値するんだ、ということを伝えることが、根幹に無ければならない』
私自身も、『となりのトトロ』から始まり、全ての作品を観た。子供の頃の永遠の思い出、忘れることは絶対にない。
さて、『内観』の話に戻ろう。実は、仏教の開祖釈迦が、『ブッダ(悟りを拓いた者)』になるためにやった修行が、この『内観』である。ブッダがやったその正式名称は『ヴィパッサナー瞑想』というが、これは、内観と同じ意味である。難しく考える必要は1ミリもない。別に、宗教的な話でも何でもない。『内を観る』。これが、内観の正体である。そう考えると、作品を観た人はイメージがつながったはずだ。
(うん。確かにアンナは、内観をしたということになる。)
一体、主人公のアンナは、どんな悩みを抱えていて、作品内でどんな展開を見せるのか。続きは作品を観て、自分で確かめるのがいい。答えがあるのは外部ではない。内部(自分の心の中)なのである。
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