偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]古代ギリシャの哲学者 プラトン(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
こういう言葉を見た時、精神未熟であればあるほど、間違いなくこの話を正確に理解できないだろう。加えて、こんな挿入画像を見て、更にその曲解が進むばかりだ。
なんかもう、『魂』とか『真理』とか、この絵もちょっと妙だし、…といった感じで、この話の意味を理解することなきまま、見なかったことにしてしまうことだろう。
だが、それはまるで映画を観て、そのストーリーを覚えていないのに、『その映画を観た』と言っているのと同じだ。止めた方が良い。しかし私にはそっち側の人間の気持ちがよくわかる。私にもそういう時期があったからだ。私は、『俺にもそういう時代があった』と言う人間を少年時代によく見ていて、(馬鹿じゃねえの)と思っていたクチだから、説得力があるはずだ。そんな私が言っているのだから。
つまりこの話はこういうことだ。『目で見るな。目とは、当然、目である。それで捉えている景色があるだろう。まずはそれでいい。それが目の役割である。
だが、その『目』で見ている景色がこの世のすべてだと思っているのなら、まずい。たとえば、酸素は目に見えるだろうか。顕微鏡でしか見えない世界はないのだろうか。だとしたら、その目だけに頼るのはまずい。ということは、何かこう、その『目』以外のものを働かせることで、見えて来るものがあるということが頭をよぎったはずである。
それだ。それこそが『魂の眼』だ。』こう考えた時、冒頭にある目の画像への斜に構えた心が、なくなっているはずだ。要は、この妙な神秘性を表現するのにふさわしいのは、冒頭にある方の目の画像なのである。じっと心を落ち着かせ、社会を生きて自然と曇ってしまったその『目』を一度閉じ、ゆっくりと『もう一つの眼』を開けることをイメージするべし。そこにあるのは、人間本位ではなくなった者の、公明正大な世界である。 『その眼』でしか見えないものがある。
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