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フォイエルバッハ『宗教にとっては、神聖なるもののみが真実である。哲学にとっては、真実なるもののみが神聖である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツ哲学者 フォイエルバッハ画像[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

だとしたら、私は完全に哲学者ということになる。真実をこよなく愛する私は、実の両親がクリスチャンであることに、一体どれほど悩まされたことだろうか。

 

 

彼らは口を揃えて、『主、イエス・キリスト様』と言って、それに全てを委ねて、身を任せる様に誘導する。ひどいのは、私の父が肝臓がんで死んだとき、死に際のメッセージとして、

『この信仰をもっと多くの人に伝えたかった。』

 

というものを遺したことである。私は、クリスチャンではない私は、一体そのことを受け、どうすればいいと思うだろうか。これは私の20年における宗教者と、非宗教者の違いを研究した個人的な見解だが、私は宗教者は、『見識がない人』だという印象を強く受ける。ある種、『盲目』になっていて、その『空白』に虚無を覚え、怖れているのだ。

 

フロイトは言った。

 

あくまでも個人的な見解に過ぎない。私の最も身近にいる親が、その論理で合点がいくことが理由なのだ。私の母は、それはそれは『嘘つき』だった。そしてそれは、今も同じである。自分の都合の悪い事はすべて隠蔽し、そのくせ、表層的には『毎週日曜日、集会に通って聖書を読んでいる、敬虔なクリスチャンである』ということを装っている。

 

私は人一倍、『見る目』があった。洞察力である。子供の頃のトラウマが関係しているのだが、その洞察力の高い私は、子供の頃から、母親がつく嘘を見破っていたのだ。しかしそれなのに、相手は私が子供だということをいいことに、『嘘なんてついていない。お前が嘘つきなんだ。』というシナリオを、何度もまかり通らせようとしてきた。

 

しかし、実際はまかり通っていない。私の心の底に、深い深い闇を植えつけてしまったのだから。

 

 

私は、その人一倍高い洞察力によって、誰が嘘を言っていて、誰が真実を言っているかどうかを常に正確に判断していた。そして私はこう考えるようになった。

 

100%の確率で、間違いない。最初は親の言うことを信じたが、やはり正しいのは俺だ。こいつは嘘をついている。そして、それを常套手段としていて、隠蔽しているそうか。わかった。こいつらは、カルト教団のラリった馬鹿だ。この世に頼れる人間なんて、自分しかいないんだ。

 

それから波乱に満ちた半生があって、私が『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

そして世の偉人たちの言葉と向き合って、

偉人

 

その教えのエッセンス(本質)が何であるかを見極めんとするようになったのは、私が、『神聖なるもののみが真実であると考える宗教者』ではない証拠である。話はまだあと2万文字くらいある。しかしここでは、これだけで終わらせたい。『見識がある』と自負する私も、宇宙の外に何があるかなどわからない。従って、神の存在も否定することは出来ない。しかし、『この見識があるんだから、そう簡単にお手上げして、宗教者にはならない』という考え方が、私の頭を哲学的にさせるのである。

 

アインシュタインは言った。

 

どちらにせよ、人間が神になることは出来ない。

 

 

 

 

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