偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け


ふむ…。
[adrotate banner=”6″]
目次
考察
逆に、知性を追い求めると、口数が減ってくるのだ。感謝や挨拶の言葉以外に、口にすることが減ってくる。何しろ、知性を追い求めれば求めるほど、自分の無知を知ることになる。左が『知性』で右が『無知』とする。左が上昇すればするほど、それに反比例して右が下降する。
かつて、赤いメーターの方が優位だったころは、まるで『泥酔状態』に似ている。『アルコール飲酒量』と言うべきか、酩酊しているのだ。その最中に言うべきことなど、支離滅裂。本人さえ、何を言ったか自覚していないし、それについての責任ももちろん取れない。
しかし、アルコールが抜けてきて、『シラフ』に近づくたびに、理路整然とした冷静さを取り戻す。『余計な事』は言わなくなってくる。『理に適ったこと』しか言わなくなってくる。言うなれば『知性』とは『=理性』である。物の分別を理解すればするほど、人は『余計な事』を言わなくなってくるのだ。
[adrotate banner=”7″]
関連する『黄金律』
あわせて読みたい


『知者?無知者?自分が振る舞っている人格はどっちだ。』
第35の黄金律 『知者?無知者?自分が振る舞っている人格はどっちだ。』 『無知の知』。それは、『人間は生涯、全知全能になることはできない』ということを悟る...