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二宮金次郎『生きているときは人で、死んで仏になると思っているのは間違いだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

『生きているときは人で、死んで仏になると思っているのは間違いだ。生きて仏であるからこそ、死んで仏なのだろう。生きてサバの魚が、死んでカツオになる道理はない。林にあるときはマツで、切ったらスギになるという木はない。だから生前から仏であって、死んで仏になり、生前から神であって、死んで神なのだ。』

 

仏というのは、『仏陀(ブッダ)』のことだ。

 

ブッダ

ブッダ

 

つまり、あのゴータマ・シッダールタ、通称『釈迦』である。

 

だが、『ブッダ』というのは『悟りを開いた者』であるからして、この釈迦だけのことをブッダと言うのではない。ある考え方には、『お釈迦様こそブッダだ』と言って、釈迦を神格化したものがあるが、釈迦自身は、そう言っていなかった。

 

ブッダ
個人を崇拝するな。答えは自分の心にある。

 

と説いていたのだ。『死んで仏になる』とか、『死んで神になる』というのは、いわゆる宗教的思想の一つであるが、二宮金次郎の理論の方が、当然の如く、つじつまが合っている。要は、この人生と、死後の世界を切り離して考えているあたり、妙な違和感を覚えるわけだ。そこに、本当に私利私欲は一片も介入していないか。例えば、『怠惰』はないのか。

 

キリスト教の『7つの大罪』は、

キリスト

 

  1. 傲慢
  2. 強欲
  3. 暴食
  4. 色欲
  5. 嫉妬
  6. 憤怒
  7. 怠惰

 

だ。ブッダが罪だと定義した『執着』、

 

孔子が戒める『利己』、

孔子

ソクラテスが戒める『無知』、

ソクラテス

 

やはり、どんな方向から考えても、『この人生の間にやるべきことがある』わけであり、『この人生の間に、やってはならないことがある』という考え方の方が、人として正しい生き方の様に思える。

 

俺は神になるんだ!

 

と言って、テロリズムを行い、罪のない人間を大勢殺す人がいる。彼らが死んでなるのは、『神』なのだろうか。それとも、『テロリスト』なのだろうか。

 

 

 

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