偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
要は、『目に付く』のである。それも、人一倍目に付く。なぜかと言うと、それだけ『知っている』。今のが『怠惰』だと、わかっている。見抜いているのだ。見識が研ぎ澄まされている。しかし、なぜそうなのだろうか。それは、
『研究』しているからである。
『鍛錬』しているからである。
『探究』しているからである。
『自律』しているからである。
そういう人は、そうでない人と比べて、当然鋭くなる。見識は、研ぎ澄まされる。見る目が、肥える。目に付く事実も、人一倍多くなるのである。だから『怒った』のだ。だから『諭した』のだ。(私もそうだった)と心の中でつぶやきながら。
また、もう一つの見解がある。『そういう人は結果的に自分の身を滅ぼす』という解釈だ。怒る人は、目の前の負のエネルギーに負けて、それに支配された人だ。そして、その目の前の負のエネルギーを憎み、恨み、我を見失っている。そして、衝動に衝き動かされるという人もいるだろう。気が付いたら人を傷つけているかもしれないし、一線を超えているかもしれない。そうなると、その負のエネルギーを撒き散らした対象に仕返しをするつもりが、結局自分が罰を負う結果になることがある。
ブッダの言葉の超訳で書いたのはこうだ。
もし負のエネルギーに直面したとしても、人はそれを消化し、浄化し、解毒し、あるいは転換する力を持っていることに気づくべきである。
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