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トマス・ホッブズ『法のないところに不義はない。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

法がある場所に、義があって、法のない場所に、義が無い、ということならわかる。しかし、『法のない場所に、不義がない』というのはどういうことだろうか。『不義』というのは、人として道を外れた行為のこと。要は、方がない場所だからと言って、そこに不義があるということではない、むしろ、『とは限らない』というよりも、『不義はない』として、断言している。ほぼ完全に、という印象を受けるわけである。

 

そんなことがあるだろうか。矛盾していないだろうか。普通に考えて、その不義をなくすために、法が制定されたのではないだろうか。だとしたら、法がある場所にこそ、不義がなく、法が無い場所には、不義があるというのが、まず真っ先に浮かぶ発想だ。

 

 

では、『法』の解釈を変えてみたらどうだろうか。ここで言われているのは『法』である。『法律』ではないのだ。辞書には、『法律』以外の意味で、こうある。

 

  1. 事物。物。存在。 「諸-無我」
  2.  ㋐ 真理。根本的な規範。 ㋑ 教え。教説。教義。

 

なるほど。『①』ならつじつまが合う。何しろ、そこに『存在』がないのだ。だとしたら義も不義も、何もかもない。

 

 

 

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