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トーマス・フラー『見えないところで私のことを良く言っている人間が、私の友人である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

小林多喜二は言う。

 

本当の友人ならむしろ、相手が言われて嫌がることを、率先して言うものだ。嫌がることはつまり、『的のど真ん中に弓を射る』のと同じである。ど真ん中に弓を射るという芸当は、本当の理解者でなければ出来ない。しかしそれをすると、相手がネズミの場合でも、噛み付いてくる場合がある。窮鼠も猫を噛むからである。つまりどんなに表層的に仲良くしてきても、追い詰められた動物は相手に噛み付く。自己防衛本能が、そうさせるのである。

 

ネズミ

 

だが、真の友人には関係ない。彼は、そういう『損な役割』を買って出て、時には『それが損とは思っていない』とまで達観した熱い想いを抱いている。彼にはなれ合いや傷のなめ合いは、友に対する侮辱行為だということが理解っている。

 

友そのものだけではない。彼の将来の嫁、子供、子孫、その周りにいる人間にまで悪い影響を及ぼすことを知っている。それなのに、それを『理解して、知っている』のにも関わらず、表層的な人間関係の和平に依存し、彼に『言うべき意見(ど真ん中に弓を射ること)』を言わない。それで表層では、仲の良い友達だと言いふらし、それを装う。

 

彼にはそれが出来ない。なぜなら、彼のことを本当に友人だと思っているからだ。彼は、偽善者ではないのだ。彼は、『偽善者』という言葉の意味を知る、数少ない勇者なのだ。

 

私がこの短い半生で見てきた中で、この様な関係を築いている人間で、パッと思い浮かべるのは、『宮崎駿と高畑勲』だ。彼らの歴史を数十年単位で振り返る映像を見ると、彼らは時に、お互いを批判し合っていて、子供が見るとそれはただただ『仲が悪い』。歴史的超大作『もののけ姫』の時、高畑勲は猛反対した。

 

高畑勲
あんなもの、世に出してはならない。

 

それに対して宮崎駿は反論する。

 

宮崎駿
ファンタジーが創れなくなったのか何だか知らないが、パクさん(高畑)はそれでいいんじゃないですか。私はそういうもの(となりの山田くん)を創ろうとは思いません。

 

私には一瞬、二人の間に確執が生まれたようにしか見えなかった。しかし、宮崎駿はその後のインタビューでこう答えたのだ。

 

宮崎駿
パクさんとはね、意見が合わなくなってきたんです。価値観が違ってきたんですね。一致していた時期があるんです。でもね、人がパクさんの悪口を言っているのを見ると、腹が立つんです。

 

彼らが作品を通して世(特に子供)に与える影響は、甚大だ。私はその宮崎のその言葉を聴いた瞬間、彼らが、彼らにしか到底わからない強い絆で、倫理の破たんしたこの虚ろで無常な世の中や、社会的責任という大義と共に闘っている、『戦友』に見えた。

 

 

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