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寺山修司『愛されることには失敗したけど、愛することなら、うまくゆくかも知れない。そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本劇作家 寺山修司[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

そうしてしまえば勝ちだ。何しろ、『愛=与えるもの』である。それは『赦し』でもあり、『許し』でもあり、『幸せを願う』ものでもあるのだ。例えば、歴史的政治家、板垣退助は、総理大臣として遊説中、短刀で数か所を刺された。

 

短刀

 

月日が経ち、出獄した加害者がのちに彼のもとへ謝罪に訪れた。

 

板垣は言った。

 

板垣は『愛される(赦される、許容される)』ことに、一時、失敗した。だが、板垣は最初から愛して(包んで)いた。包括的だったのだ。だからすぐにそう発言出来た。そして最後には『愛された』のである。『愛されること』に目を向けると、人目ばかり気にして八方美人になって、たった一度の自分の人生を見誤る。我々は最初から、『愛すること』しか出来ないのだ。

 

 

『愛されることには失敗したけど、愛することなら、うまくゆくかも知れない。そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう。』

 

私の周りにも、この原則がわかったうえでも、『愛されること』に依存し続ける人間が大勢いる。大勢というか、ほとんどの人がそういう人だと言っていい。例えば以下の黄金律、

 

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アウトサイド・インではなく、インサイド・アウトの発想を持つべきだ』と言われても、それをその通りに実現できる人間は、1万人に1人という割合になるだろう。何しろ、インサイド・アウトを心底から理解し、主体的に生きるのであれば、頭一つ抜きんでたアクションを起こす。しかし、世の中を見渡しても大体がそのくらいの割合でしか、そういう人を見かけることはないのだ。

 

例えば、『マズローの五段階欲求』で考えても、承認の欲求が上の方に君臨している。

 

マズロー

出典:『マズローの欲求5段階説

 

『欲求』というぐらいだから、その根底には常に自分のエゴがあって、そのエゴに衝き動かされるのが人間なのだ。人は誰でも人から認められたいし、相応な評価を得たい。そして、自分の命が無価値ではないということを証明したいのである。

 

インサイド・アウトであるということは、このような欲求からも解放されていなければならない。これらの衝動や欲求に衝き動かされているようではまだまだ甘い。自分の意志と主体性で、すべての事実から自立し、自律する。それができて初めて主体的な人間の評価が得られるのだ。

 

例えばマズローは、晩年になってこの五段階欲求の一番上に、『自己超越』という項目を付け加えた。人間は最後に、その領域に立てる。それは例えば、『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

彼らのような人生を考えたときに、理解できることである。実は、彼ら全員が『インサイド・アウトであれ』と説いている。答えは外にはなく、自分の心にあるということを主張していることで、彼らは共通しているのだ。

 

例えばキリストは、

『あなたの敵を愛しなさい。』

 

と言い、孔子は、

『虐待されても、強奪されても、忘れてしまえばどうということはない。』

 

と言っている。人は皆、自分のエゴに支配され、我を見失いがちである。しかし、実際にはその『我』が本当に立ち上がれば、この世の一切の問題に対し、主体的であることができるのだ。愛されないなら、愛せばいい。そこに少しでも不公平で理不尽を覚えても、そうすることですべてが解決するということを知ることは、人生に計り知れない力を与えることだろう。

 

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