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寺山修司『生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本劇作家 寺山修司[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

生きた。死んだ。人生が終わり、次は死後の世界だ。しかし、そうではない、と。人生が終われば、死後の世界も来世も何もない。終わりなのだと。

 

人生で起こること、認知していたこと、築いたこと、家族、友人、お金、衣食住、仕事、スキル、筋力、美貌、法律、常識、道徳、倫理、マナー、ルール、規則、宗教、宇宙、太陽、地球、歴史、時間、愛、真理、神、死、

 

これらは全て、人生の間で認知していたことだ。

 

だとしたらつじつまが合う。この話は、なかなか奥が深い。なにしろ世界の『四聖』に数えられる、ソクラテスが、

 

ソクラテス

 

と言っているのだ。無実の罪で処刑されたソクラテスからすれば、その言葉にどんな意味を込めて発していただろうか。

 

かつて、今それが起きれば世界中が震撼するような凄惨たる現実が、四六時中、日常茶飯事として行われていた時代があった。奴隷制度、身分差別、人身売買、暴力、強姦、強盗、奇病、飢え、戦争、目の前の『地獄のような光景』を見た人間が、

 

(こんな地獄があるのであれば、きっと天国のような場所もあるに違いない)

 

と思い、来世や、死後の自分に夢を持つことで、そんな地獄を薄皮一枚で生き延びた。

 

クリスチャン

 

だとしたらソクラテスの言葉も、この世に今ある、あらゆる宗教の存在も、誰も否定することは出来ないはずである。彼らは、それにすがり、期待することだけが、唯一の生きる道標であり、支えだった。

 

しかし、寺山修司は『生が終われば死もまた終わる』と言ったのだ。これはどういう意味だろうか。寺山修司が悲観主義者でない限り、これはこういう意味だ。

 

『死後について憂う諸君。死後のことを憂う必要はない。人生で苦しい思いをして、さらにまた死後で苦しい思いをするなんて、そういう杞憂に時間を費やしてはならない。人生が終われば、この世の一切のことから『解放』される。終わるのだ。だとしたら、余生でやるべきことは何か。自問し、悔いの無い人生を生きよう。』

 

『生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのだ。』

 

 

 

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