偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカの作家 デール・カーネギー(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
デール・カーネギーのこの記事、
で私は、
『別にもう誤解されてもどうでもいい。それくらい同じことを何度も繰り返して経験してきた。』
と書いたが、その続きとして、今回の言葉も考えていきたい。しかし結局はその後、母親との不和が解消され、誤解が解けたのは、確かにカーネギーの言う通り、『論破して強要するような一方的な意見の主張』ではなく、相手の立場に立って、たとえばこういう言い回しをしたのだ。
『確かに教育は0点に近かった。何しろ、あれほど嫌だと言っていたのにその意志を無視して、宗教を強要し続けた。これは教育ではない。もし、キリスト教がこの世で唯一の宗教だというのであれば、同時にイスラム教、仏教、ユダヤ教、儒教、道教、神道、ヒンズー教、それら一切の他宗教との間に亀裂が入り、不和が生じる可能性がある。
それは、イスラム教徒が、アメリカのキリスト教徒に、ムハンマドを侮辱した動画をアップされて、怒り狂い、アメリカの要人を殺害したこと一つ考えても、見て見ぬフリは出来ない絶対的な事実だ。
でも、育児は100点だった。
何しろ、育児放棄する人間がいる中で、食事もあって、あったかい風呂も入れて、洗濯物をたたんでくれて、寝られる布団を用意してくれて、学校に通うだけのお金を支払ってくれた。それが出来ない人間が世の中にはごまんといて、決して当たり前ではない。だから育児は100点だった。それは感謝している。』
このように、相手の意見も当然尊重はするが、だが、だからといってそれを強要していいということにはならない。
その旨を論理的に淡々と告げることによって、相手は『自己の重要感(自分の尊厳、意志を大切にされたという実感)』が満たされ、かつ、冷静にそれらの世界の現実、多様性を、受け入れなければならなくなるのである。カーネギーの名著、『道は開ける』でも、この『自己の重要感』について、学ぶことが出来るだろう。
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