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キリスト教はなぜ宗派が分かれた?『カトリック』と『ギリシャ正教』への分離

[say name=”ハニワくん” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2020/01/f_f_object_92_s512_f_object_92_0bg.png”]先生、質問があるんですけど。[/say]

[say name=”先生” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2020/01/f_f_object_119_s512_f_object_119_1bg.png” from=”right”]では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。[/say]

キリスト教はなぜ宗派が分かれたの?わかりやすく簡潔に教えて!

ローマ帝国が東西に分かれたからです。その時に『カトリック』と『ギリシャ正教』に分離しました。

[say name=”ハニワくん” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2020/01/f_f_object_92_s512_f_object_92_0bg.png”]なるへそ![/say]

[say name=”博士” img=”https://www.a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/07/f_f_object_170_s512_f_object_170_0bg.png” from=”right”]も、もっと詳しく教えてくだされ![/say]

キリスト教には『三位一体』という考え方があります。

それは、

 

  • 唯一神(ヤハウェ・エホヴァ)
  • イエス
  • 聖霊(スピリット)

 

の『三つの存在は同一である』ということを示した言葉です。しかしこの三位一体への解釈も人によって違ったりして、キリスト教徒の中でも徐々に考え方が分かれてくるようになります。ようやく『聖父、聖子、聖神』はすべて一つであるという考え方で結論がまとまったのですが、その後ローマ帝国が東西に分かれると、考え方、つまり宗派も分かれるようになってしまいました。

 

  • 西ローマ帝国=カトリック
  • 東ローマ帝国=ギリシャ正教

 

という形で宗派が分かれ、その後時間をかけてさらに様々な宗派が生まれていきました。しかしそのほとんどは、大筋である『カトリック』に反発するようにできた宗派が多く目立ちます。その理由は、カトリックがしばしば越権行為を行ったからです。それだけ力を持ってしまったということですね。

[say name=”博士” img=”https://www.a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/07/f_f_object_170_s512_f_object_170_0bg.png” from=”right”]うーむ!やはりそうじゃったか![/say]

[say name=”ハニワくん” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2020/01/f_f_object_92_s512_f_object_92_0bg.png”]僕は最初の説明でわかったけどね![/say]

[say name=”先生” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2020/01/f_f_object_119_s512_f_object_119_1bg.png” from=”right”]更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。[/say]

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目次

キリスト教の謎

[kanren id=”46196″]

 

上記の記事の続きだ。とにかくのようにしてイエスは、当時そこに蔓延していた『腐敗』を浄化しようとし、新たな光をそこに見出そうとしていた。しかし、当時軽々しく『救世主(メシア)だ』という言葉を発するのはとんでもない不法行為で、『十字架刑に処せられる』可能性のある重罪だった。イエスがそう言ったかどうかはさておき、人々は『受け入れやすい話をするイエス』を救世主扱いする。これらのような事実が重なって、イエスは『政治的煽動者』として、刑に処されることになった。

 

こうしてイエスは33~36歳の頃に刑に処され、世を去った。しかしイエスには今考えるとつじつまの合わない話がたくさん多く、それの不透明さや神秘性が原因となって、様々な論争を招いた。

 

  • 病気を治した奇跡
  • 海の上を歩いた奇跡
  • 墓からよみがえった奇跡

 

等、論理的に考えても説明ができないような話がイエスにはつきまとった。モーセブッダ孔子ソクラテスピタゴラス、マニ、ゾロアスター、ムハンマド、どの人物の弟子も死後の復活などは認めていないが、このイエス・キリストだけは、弟子たちが『復活を見た』と言っていて、『人間』なのか『神の生まれ変わり』なのか、史実では証明できないという。

 

[盲人を癒すキリスト ユスターシュ・ル・シュール(17世紀)]

 

[奇跡的な大漁 ジェームズ・ティソ(19世紀)、ブルックリン美術館所蔵]

 

三位一体

例えば、『三位一体』という考え方も難解だ。これは文字通り、『三つの存在は同一である』ということを示した言葉である。その三つとは、

 

  • 唯一神(ヤハウェ・エホヴァ)
  • イエス
  • 聖霊(スピリット)

 

である。このうち『聖霊(スピリット)』というのは、『神の意思』、あるいは『エネルギー』という意味を持つという。

 

完全一致

 

左の図の三角形の端に書いてあるのは全てラテン語で、

 

  • 「父なる神」(PATER
  • 「子なる神」(FILIUS
  • 「聖霊なる神」( SPIRITUS SANCTUS

 

そして真ん中に、

 

  • 「神」(DEUS

 

と書いている。左側は1210年頃に描かれた図式を抽出したもの。右側は20世紀末のプロテスタントの書籍に使われた図式だ。右の図には『is not』と書いてある丸が描かれているので、『父と子』、『父と聖霊』、『子と聖霊』は同一ではないとしている。『Wikipedia』にはこうある。

 

様態論的モナルキア主義(「三様式」「三役」)

「イエスも事実、神であり、聖霊も事実、神である」と主張する一方で、「『父』、『子』、『聖霊』とは、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」「一人三役のようなもの」と主張する考えは、様態論的モナルキア主義(英語: modalistic monarchianism)と呼ばれ、いわゆる正統派から否定される。

 

力動的モナルキア主義

「父だけが神であり、イエスに宿ったのは神の『力』(デュナミス、ギリシャ語: δύναμις)に過ぎない」とする考えは、力動的モナルキア主義(英語:dynamic monarchianism)と呼ばれ、いわゆる正統派から否定される。

 

[memo title=”モナルキア主義(唯一神論、単一神論)”]キリスト教神学の見解の一つで、神が一つの位格しか持たないとする事を強調する立場の一群。[/memo]

 

この『三位一体』という考え方はキリスト教徒の全員が認めているわけではないらしく、聖書にも登場してこない言葉らしいが、こういう言葉があり、また、キリスト教だけではなく、三者が心を合わせることや、3つのものを一つに併せることを指して用いられる場合もあるため、日常で聞いたことがある人もいるだろう。しかしこのように三位一体への解釈も人によって違ったりして、キリスト教徒の中でも徐々に考え方が分かれてくるようになる。

 

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イエスは神だ![/say]

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png” from=”right”]いや人間だ![/say]

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]神であり、人だ![/say]

 

そして『聖父、聖子、聖神』はすべて一つであるという考え方で結論がまとまった。しかし、その後ローマ帝国が東西に分かれると、考え方、つまり宗派も分かれるようになる。

 

ローマ帝国の東西分裂

[timeline]
[tl label=’STEP.1′ title=’キリストへの考え方の結論がまとまる’] [/tl]
[tl label=’STEP.2′ title=’しかしローマ帝国が東西に分裂’]キリスト教やユダヤの地でユダヤ人によって起こったが、ローマ帝国で成長した。[/tl]
[tl label=’STEP.3′ title=’東西でキリスト教の解釈が分かれる’] [/tl]
[tl label=’STEP.4′ title=’ニケア公会によってカトリック教会が成立’] [/tl]
[tl label=’STEP.5′ title=’ローマ帝国の首都がコンスタンチノープルに移る’]皇帝のいるコンスタンティノープルは政治の中心となる。[/tl]
[tl label=’STEP.6′ title=’ローマはカトリック教会の中心となる’]皇帝のいるコンスタンティノープルは政治の中心となる。[/tl]
[tl label=’STEP.7′ title=’ローマ法王が最高指導者となる’]
1073年から法王という名称が使われるようになる。実際には800年にカール大帝に471年以来廃位されていた皇帝の冠を授かった。[/tl]
[tl label=’STEP.8′ title=’しかし東ローマと意見が分裂’]東ローマ帝国皇帝と対立する。[/tl]
[tl label=’STEP.9′ title=’神聖ローマ帝国として東ローマ帝国と対立’]この神聖ローマ帝国は、このローマ法王のいるローマ。つまり西ローマということになる。[/tl]
[tl label=’STEP.10′ title=’それぞれが認めず『破門』する’]1054年、お互いの意見は完全に分かれる。[/tl]
[tl label=’STEP.11′ title=’それぞれの宗派が確立する’]西ローマ帝国はローマカトリックへ、東ローマ帝国は東方正教(ギリシャ正教、オーソドックス教会)へと分離する。[/tl]
[/timeline]

 

ローマ帝国の分離によって分離したキリスト教

西ローマ帝国(神聖ローマ帝国) カトリック
東ローマ帝国(ビザンツ帝国) 東方正教(ギリシャ正教、オーソドックス教会)

 

確かに解釈が難しいものを前にすると意見は分かれる。『1+1』という問題の前であれば誰もが『2である』という答えを導き出せるし、そこで争うこともないのだが、そうではない問題を前にするとなるとやはり意見が分かれるものである。例えば、宇宙人がいるとか、いないとか。死後の世界があるとか、ないとか。そういう風に、『明確な答えがない』問題を前にすると、人間の意見は分かれるのである。

 

今回はここまでにしておこう。キリスト教の宗派が分かれた理由である。次でキリスト教の記事は終わりだ。ちなみに、私の三位一体への解釈は以下の記事に書いた。私の意見も彼らと違うのである。

 

[kanren id=”23466″]

 

キリスト教の歴史

[timeline]

[tl label=’STEP.1′ title=’B.C.4頃’] イエス・キリスト誕生。イスラエルのバイラーム(福音書ではベツレヘム)で生まれたことになっている(実際はナザレではないかという見解もある)。 [/tl]

[tl label=’STEP.2′ title=’A.C.30頃’] 原始キリスト教の誕生。イエスの弟子、パウロによってキリスト教が広められることになる。 『新約聖書』とは、前述したパウロが、無実の罪で十字架に架けられて命を落としたキリストの死を『神との新しい契約』と解釈したところから生まれた書物である。 [/tl]

[tl label=’STEP.3′ title=’A.C.451頃’] カルケドン公会議。キリストは神性と人性の2つの本性を持つと言う立場(両性説)が採用され、単性論派は分離。[/tl]

[tl label=’STEP.4′ title=’A.C.1051頃’] 東西分裂(西方教会、東方教会)。395年のローマ帝国東西分裂以来、対立していた東西の教会。ローマ教皇とレオ9世とコンスタンディヌーポリ総主教の相互破門で分裂が決定的に。 [/tl]

[tl label=’STEP.5′ title=’A.C.1517頃’]宗教改革。ドイツの修道士ルターの信仰への疑問が出発点。『信仰のみ』『聖書のみ』『万人祭司説』を確立させた。 [/tl]

[tl label=’STEP.6′ title=’A.C.1534頃’]英国国教会の誕生。首長令。国王ヘンリー8世の離婚問題により成立。カトリック教会が離婚を認めていないことが発端。 [/tl]

[tl label=’STEP.7′ title=’A.C.1642頃’]ピューリタン革命。[/tl]

[tl label=’STEP.8′ title=’A.C.1795頃’]宗教クエーカー(キリスト友会)誕生。 [/tl]

[tl label=’STEP.9′ title=’A.C.1861頃’]救世軍誕生。メソジスト教会から分離。日本には1895年に伝道。 [/tl]

[/timeline]

 

 

次の記事

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該当する年表

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参考文献

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