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太宰治『自分は修身教科書的な正義とか何とかという道徳には、あまり関心が持てないのです。あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている人間が難解なのです。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本作家 太宰治画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

『修身』というのは、自分の行為を正しくし、身を修め、整えることの意味。教科書的というのは、マニュアル的とか、そういう意味だから、つまり、

 

正義とかなんとかっていう体裁やマニュアルのようなものがあるが、本当にそのマニュアルは正しいのかよ。あるいは、そのマニュアルを本当に規範としている人間はどれぐらいいるんだよ。

 

という考え方が、浮かび上がってくるわけである。太宰治はこうも言った。

 

『インチキをやっているつもりはない』っていうんなら、何で自分の給料を飢えている難民の為に寄付し、自分も彼らと同じような生活水準で生きていかないんだよ。いうことになるわけで、それを見て見ぬフリをして、そんな選択肢など存在しない、という演技をして、自分だけのうのうと生き、それで『清く明るく朗らかに生きている』と言うのであれば、そこにいるのは単なるイカサマ師だろ。

 

とか、そういう考え方が、浮かび上がってくるわけである。

 

Twitter上の考察意見

 

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