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親鸞『自分の意思で心臓を止められないから仏はいる。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

偉人

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ふむ…。

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考察

『仏』という時点で、私からすれば『は?』ということになるが、別にそれは『神』でも同じように『は?』となる。だが、これが『自分以外の絶対的存在』というところにまで言葉をぼやかせば、それを認めないことは、自分が傲慢不遜になりがることはわかっていて、更に、『神=仏=真理=愛』という図式が正しいのであれば、私はその『仏』とい概念に対して、何ら抵抗は無くなる。

 

彼らの絶対的祖である、ブッダは、

ブッダ

 

そもそも『個人は崇拝するな。答えは自分の中にある。』と言っていたのだから、『仏はいる。』という考え方が、いささか『ブッダ(仏陀)』のものに近いかどうかは、首をかしげる。神格化してはならない。仏像も作ってはならない。それを拝んでもならない。そんなことをしても何も起こらない。ブッダがやったのは、『内観(ヴィパッサナー瞑想)』だ。自分の心とひたすら向き合ったのであって、『神になった』のでも、『神に近づいた』のでもない。

 

つまり、親鸞のこの言い回しでは、まるで『仏という神がいる』という発想をしかねない。それが伝言ゲームの様に間違って伝わって、仏像が出来たのだ。もう一度言おう。ブッダは、仏像を造れとは一言も言っていない。

 

フランスの小説家、プレヴォは言った。

 

 

まずは冷静にその事実を真正面から認められなければ、この話の根幹に辿り着くことは出来ない。

 

親鸞は言った。

 

ここまで考えた人間なら、この言葉と、上にリンクした記事の意味が繋がっていることに気づき、間違った解釈をすることは無いだろう。

 

 

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