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ジャン・ドルメッソン『人生を越えた何かがあるとき、人生は美しくなる。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

『人生』というものを普通に考えた時、まず思い浮かべるのは、平凡な人生である。サラリーマン、主婦、子供。平日に仕事をして、週末に遊びに出かけて。満員電車に乗り、行列の出来るラーメン屋に並び、渋滞の高速道路で愚痴を言い、混んでいる空港に足を運ぶ。義務教育を受けて、新入社員になって、伴侶と出会って、結婚し、出産する。映画を観て、テレビを観て、公園で遊び、キャンプに出掛け、山を登り、海で泳ぎ、虫に刺され、怪我をして、

 

BBQ

 

不慮の事故で悲しみ、不可避の天災に苦しみ、不治の病に落ち込み、ときには子供が生まれず、ときには3つ子が生まれて、悲しみ、喜び、感動し、そして命を繋ぎ、そういうよく聞く、人生のことである。

 

では、『人生を超えた何か』とは、どういうことだろうか。往々にして、前述したようなことが、人生だ。ちょっと不健康だとか、悲しい出来事があったとしても、それは実は、普通だ。例えばもっと昔だったら、人の首は切り落とされ、手土産にされていた。生贄もあったし、土座衛門もあった。不治の病ももっとあったし、事実、寿命も短かった。しかしそれも、普通だ。昔はそれが普通だった。だから今も普通だ。常に普通。それが人生だ。皆同じ、この普通で平凡な人生を生きている。

 

だが、アインシュタインは言う。

 

そうか。なるほど、見えてきただろうか。我々は確かに、普通だ。普通じゃないと思っても、俯瞰的に見たら普通なのだ。ずっと昔から、それはこれからも、永久に普通。そういう、人生を生きているのである。生きて、そして死ぬ。その間に色々とある。それは、最初から、最後まで、変わることのない、当たり前の事実なのだ。普通のことなのだ。

 

だが一つしかない。

 

仏教の開祖釈迦(ブッダ)は言った。『天上天下唯我独尊』だと。それは、この世に自分という存在は、たった一人しかいない唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし、という意味なのである。『人生』?それは、『普通の人生』?とんでもない。我々が生きているのは、たった一度の人生なのである。このことを本当に理解した時、人間の命は躍動する。

 

 

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