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シュリニヴァーサ・ラマヌジャン『そんなことはありません。とても興味深い数字です。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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考察

周りや身内というごく近いレベルですら、この話を理解出来ない。特に、母親にこの言葉が好きだと伝えると、クリスチャンである母親は一瞬むっとした顔をして、

 

要するに、人間を目標にするなってことね。

 

と言った。キリストが『神』だと思っている彼女の発想では、それが限界なのである。

 

クリスチャン

 

ちなみに言うと、私は『お釈迦様、キリスト様』という言葉は、的を射ていないと考えている。まず、『釈迦』とは、彼が釈迦一族の出身であり、そこの聖者ということで、『釈迦牟尼(しゃかむに)』という尊称を得たことから、通称としてつけられている言葉である。また『キリスト』とは、油を注がれた者(王や祭司の即位の際、油を頭にかける習慣があったことから『使命を帯びた者』の意味があった)』、あるいは『救世主、救い主』という意味である。これも尊称のようなものだ。

 

つまり、『~様様』と、『様』を二つつけることがないように、彼らには『釈迦、キリスト』だけで十分。そこにあえて『お』と『様』を付け加える必要などなく、何事も必要以上にやることは、むしろ相手にとって無礼であることもあるくらいだ。

 

私は彼らを『釈迦』、あるいは『ブッダ』、そして『キリスト』と呼び、決して『様』をつけない。だが、それで十分彼らを尊敬していて、立てているつもりである。それなのに、世の多くの人、あるいは私の両親ときたら、考え方が凝り固まっていて、視野が狭いのである。だが、彼らを責めてはならない。弱き人間には支えが必要だ。彼らは『弱い』のだから、『強い』側にいる人間が彼らのことを強く非難するのは、まるで大人が子供にムキになって激高するようなものである。

 

 

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