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司馬遼太郎『人間は、自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本作家 司馬遼太郎[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

いや、短絡的に解釈するなら間違っていることになる。なぜなら、『神』など存在しないからだ。それなのに普通に『神々』という言葉を使い、しかもそれを自然だと断言することは、こういう短絡的な解釈をする人間が生まれる可能性を、生み出していることになる。しかし、『神=真理=愛』という図式は非常に蓋然性が高く、だとしたらそこに見えて来るものは『厳かなもの』という概念。それならば、『自然=厳かなもの』という図式に特に文句はないわけで、司馬遼太郎の言葉は、筋が通る話になるわけである。

 

自然によって生かされてきたことも、嘘偽りない事実だ。まず、太陽に生かされている。それがなければ、凍えて死んでいるのだ。それから、太陽だけでもダメだ。その紫外線によって肌を焼き尽くされ、みるみるうちに地球の生物は絶滅。つまり、その紫外線を緩和し、地球の生物の安全を守っている『オゾン層』の恩恵がここにある。そして、そのオゾン層を作っているのが、地球にある植物なのである。海の恵みはどうだ。どれだけ人間はそれに世話になっている。だとしたら、やはり司馬遼太郎の言う通りだ。この言葉は間違っていないのであり、少しも誤っていないのである。

 

 

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