偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
老子は言った。
『君子は盛徳ありて容貌愚なるが如し。』
意味は、偉い人物とは、立派な人格を持っているから、一見しただけでは、その人物が大人物であるかはわからない、という意味。つまり、『誇示』しないのだ。見栄、虚勢に支配されていない。人からどう見られようと、関係ないと思っているのだ。従って、大人物の様な立居振舞を、いちいち取る必要がなく、見る目のない者、例えば子供でもそれは当てはまるわけだが、彼らにとってその人物は、単なる『じじい』に映ることがあるわけだ。
司馬遷が言っているのも同じことだ。君子は、自分の能力や実力を、いちいち誇示して、ひけらかさない。私はこの事実を、中国の映画や、『ドラゴンボール』の亀仙人、スカウターに映らない戦士たち等を通して、かれこれ20年以上考えてきているが、美輪明宏のこの記事で書いた様に、
そして上に『じじい』と書いた様に、とても奥が深いと考えていて、未だにこのことに対する最適な結論が見いだせていない。しかし、それが私の器の小ささを教えてくれているわけだ。まだまだ私の器は小さいということだ。
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